将棋は子どもの頃からおじいちゃんと指していて、本当に好きなんです。「こんな手を指す棋譜(対局記録)があるんだ」などと言いながら夢中になって練習しましたし、棋譜を覚えるのも苦ではありませんでした。
先生には「神木くんが指しやすいほうが感情を込めやすい。桐山零の指し方というより、自分が一番指しやすい形でも違和感がないから安心して」とおっしゃっていただいたので、指しやすい手の形で指しました。指の力の入れ具合は、手つきを意識するより「想い」で表現しました。零がどんな想いで指したのか、動揺なのか絶望なのか希望なのか。指し方で、駒を打つ音も変わってきます。
零は孤独を抱えてはいますが、おとなしい人間ではありません。盤上ではライオンのようになって、手元や音に感情が出たりする。2カ月の練習で、僕なりに手応えはありました。知識が増えると指す手の選択肢も増えるので、すごく楽しかったです。
映画は、戦うことでしか生きられなかった天才棋士が多くの人と触れ合い、ぶつかり合いながら成長していく物語でもある。演じる零に対しては、さまざまな方法でアプローチした。
零は、僕自身が体験していない「家族を亡くす」という過去を経験しています。相当な喪失感だろうなと思いました。できるだけ寄り添いたいと思って原作を読み直したのですが、零の表情が意外ところころ変わるんです。そうか、案外楽しく生活しているけれど、一人になった時にふと心の引っかかりを消化しきれないのでは……。そんなふうに感じて、常に暗い零でいるのはやめておこうと考えました。零という人が何を消化できて何を消化できていないのか。シーンごとに大友監督と話し合いながら、感情の出し方を考えました。
映画は、17歳の桐山零の生活がドキュメンタリーのように描かれています。それだけに、零という人間が本当にそこに存在するかどうかが勝負でした。「演技」の角をいかに丸く削るか。すごく考えました。