「《ベンジャミン バニーのおはなし》の挿絵のための水彩画」(英国ナショナル・トラスト所蔵)。「ピーターラビット展」は10月11日まで、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催 (c)Frederick Warne & Co., 2016 The National Trust for England, Wales and Northern Ireland
「《ベンジャミン バニーのおはなし》の挿絵のための水彩画」(英国ナショナル・トラスト所蔵)。「ピーターラビット展」は10月11日まで、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催 (c)Frederick Warne & Co., 2016 The National Trust for England, Wales and Northern Ireland
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ビアトリクス・ポター (c)Courtesy of the Victoria and Albert Museum
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ビアトリクス・ポター (c)Courtesy of the Victoria and Albert Museum
ピーターの上着を使ったかかしなど、読者になじみ深い作品の場面も再現されている(撮影/矢内裕子)
ピーターの上着を使ったかかしなど、読者になじみ深い作品の場面も再現されている(撮影/矢内裕子)

 世界中で愛されている「ウサギ」の原画が東京へやってきた。今回の「ピーターラビット展」は作者ビアトリクス・ポターの生誕150周年記念。彼女の魅力的な生涯にスポットを当てている。

 ピーターラビットの物語が始まったのは1893年9月、病気療養中の少年に宛てた一通の絵手紙だった。

「ノエル君へ、あなたになんて書いてよいのかわからないので、4匹の小ウサギの話をしましょう」

 家庭教師だったアニー・ムーアの息子ノエルへ、27歳のビアトリクス・ポターが出した絵手紙が、後に私家版として出版される『ピーターラビットのおはなし』のひな型になった。

 その記念すべき絵手紙をビアトリクス自身が模写した作品が、今回の展覧会に展示されている。黒いインクで描かれた小さな手紙から始まった奇跡を追っていこう。

●動物好きは少女時代に

 若いビアトリクスが生きた19世紀の英国は、ブルジョア階級の女性が働くことなど許されない社会だった。少女時代、教養として絵を習ったビアトリクスは、病気がちだったこともあり、ロンドンの家の中で動物を飼うことで慰められていた。彼女は飼っているウサギやを緻密にスケッチし、家族で訪れる湖水地方の風景を愛した。

 ピーターラビットをはじめ彼女が描く動物たちは、骨格がしっかりとしており、「本物のウサギが立ち上がったらこうなるだろう」という姿になっている。対象をきちんと観察して描く彼女のスタイルは、幼い頃から培われたものだった。

 少年への絵手紙を本にまとめるように勧められたビアトリクスは、1901年に250部の私家版を作る。それを知ったロンドンの出版社が翌年、すべての挿絵に色をつけた『ピーターラビットのおはなし』を刊行。一躍、人気絵本作家になった。以来、ビアトリクスが描く本は次々ベストセラーになっていく。

 彼女は「キャラクタービジネスを最初に始めた人物」とも言われている。ピーターラビットをまねた粗悪なぬいぐるみが売られているのに気づき、自分で人形を作って写真を撮り、特許として申請したのだ。ビジネス目的ではなく、クオリティーを気にしたところも彼女らしい。

●自然保護活動にも尽力

 やがて、ビアトリクスは担当編集者と恋愛関係になるが、身分の差を理由に両親は反対。2人はひそかに婚約するも、婚約者は急性白血病で急逝してしまう。失意のなか、それでも彼女は作品を描きつづけていった。

 少女時代から通い、愛した自然環境を守ろうと、ビアトリクスは湖水地方の土地を印税で買い取っていく。このとき、土地取得の相談に乗ってくれた弁護士と恋愛関係に。再び両親は反対するが、弟の説得もあって今度は結婚することに。ビアトリクス47歳だった。

 晩年、目が思うように見えなくなるにつれ、ビアトリクスは自然環境保護により熱心になっていく。彼女の死後、4300エーカー(約1700ヘクタール)の土地と16の農場、20戸のコテージハウスのすべてがナショナル・トラストに遺贈された。

 動物や自然を愛し、自分の作品をふくめた「よきもの」を、未来へと残す意志を持った、ビアトリクス・ポター。今回の展覧会では美しい作品とともに、彼女の人生にも触れることができるだろう。(ライター・矢内裕子)

AERA 2016年9月26日号