高校卒業後、義肢装具士の専門学校で本格的に陸上を始めた山本は、義足の走法を研究するため大阪体育大学へ。大学院博士課程を含めて約10年間、「なぜ?」と向き合い続けた。

 板バネの反発力を走力に変えるには、義足に体重を乗せて強く地面を蹴る必要がある。だが、それができる選手は少ない。特に太もも切断の選手はひざがないため義足のコントロールが難しいうえ、走っているときに義足のひざにあたる「ひざ継手(つぎて)」が折れて倒れるのではないか、という恐怖心が生まれる。

「ひざ折れ」は理論上、接地したとき地面から返ってくる「反力」がひざの後ろを通るときに起きる。かかとがない競技用義足では起きにくいし、しっかり太ももを振り戻せば自然にひざが伸びて「ひざ折れ」は起こらないが、恐怖から脚の振りが鈍くなる選手が多いのだ。

 山本はその恐怖を、理論を理解することで克服した。いまや義足側のほうが健足側よりもストライド(歩幅)が伸び、昨年のIPC陸上世界選手権走り幅跳びでは、6メートル29の大会新で優勝した。

「ようやく、理論と実践のすべてがうまくつながってきた。リオでは100メートルも、走り幅跳びも金メダルを狙う」

 陸上界では義足が健足を、障がい者が健常者を上回ることはないと思われてきた。だが、義足アスリート研究で世界をリードする産業技術総合研究所(産総研)の研究員・保原浩明は、過去の五輪やパラリンピックの記録の分析から、2020年5月には義足のジャンパーが健常者の世界記録(現在は8メートル95)を上回ると予測する。

 パラトライアスロンでリオを目指す秦由加子(34)は山本と同じ太ももからの切断者。コンプレックスだった義足を受け入れたとき、新たな道が開けた。

●時間を取り戻したい

 13歳のときに骨肉腫で右脚を切断。義足になった。当時は他人の視線が怖くて「コンプレックスの塊」。24歳でジムに入会したときもバスタオルで足を隠し、プールサイドに一番近い出入り口を使ってすぐに水中へ。次第に足が遠のいた。

 転機は08年。障がい者の水泳チームに参加した。障がいを気にせずに生き生きと輝いている人たちを目の当たりにして、自分は「できないこと」にばかり目を向けていたのだと気づかされた。以降、大会にも積極的に参加し、10年に日本障がい者水泳連盟の国際大会強化指定選手になった。ロンドン・パラリンピック出場はかなわなかったが、トライアスロン関係者からリオで正式種目になるパラトライアスロンへの転向を勧められた。

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