壊滅的な被害を受けたアマトリーチェ中心部では、行方不明者の捜索が続く。鐘楼の時計の針は地震発生時刻を指して止まっていた(撮影/山尾有紀恵)
壊滅的な被害を受けたアマトリーチェ中心部では、行方不明者の捜索が続く。鐘楼の時計の針は地震発生時刻を指して止まっていた(撮影/山尾有紀恵)
アマトリチャーナを食べて寄付をする運動が、世界中に広がる。呼びかけに応えた日本のイタリア料理店には早速女性客の姿が/東京都新宿区 (c)朝日新聞社
アマトリチャーナを食べて寄付をする運動が、世界中に広がる。呼びかけに応えた日本のイタリア料理店には早速女性客の姿が/東京都新宿区 (c)朝日新聞社

 中世の雰囲気を色濃く残すイタリアの小さな町を、地震が襲った。今後、巨額の復興費が予想されるが、名物料理が救いの手になりそうだ。

 イタリア中部ののどかな田舎町アマトリーチェをマグニチュード(M)6.2の激震が襲ったのは8月24日の午前3時半過ぎ。中世の趣を残す建物は瞬く間に崩れ、就寝中だった多くの人ががれきの中に閉じ込められた。人口約2700人の小さな町の大部分の建物が倒壊する大惨事になった。290人以上に上る今回の地震の死者のうち、約230人がこの町に集中した。

●祭り3日前、時期最悪

 地震が発生した日、アマトリーチェ中心部に入った。町へ続く道路は緊急車両以外の通行が禁止されていたため、徒歩と乗り合いバスで向かった。

 緑に囲まれた坂道を上り、家々が並ぶ丘の上にたどり着くと、風景は一変した。家々の屋根が崩壊して下の階を押しつぶし、壁や窓はぐにゃりとゆがんで、ただ石を積み重ねただけの素朴な構造の建物はぺしゃんこにつぶれていた。

 がれきを除去する無数のパワーショベルが砂ぼこりをたて、がれきの上では救助隊員と救助犬が生存者を必死で捜していた。犬がほえると、救助隊員が「おーい!」とがれきの中に向かって呼びかける。だが、返事はない。救助作業を見守っている間にも、2人の遺体を入れた赤い袋を救助隊員が運んでいった。母の死亡が確認され、がれきの前でぼうぜんと立ち尽くしていた女性は「こんな悲劇が起きるなんて」と絶句した。

 アペニン山脈の山間部にあるアマトリーチェは避暑地として人気で、町の名前にちなむパスタ料理「アマトリチャーナ」が名物。地震が起きていなければ、3日後に今年で第50回となる「アマトリチャーナ祭り」が開かれる予定だった。夏の間だけ町に住む都市部のイタリア人や外国人観光客でにぎわい、町の人口が10倍にも膨れあがる最悪のタイミングで地震は発生した。レンツィ伊首相は視察後の会見で、「この緊急事態を乗り切るには長い時間がかかる」と語った。

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