例えば気仙沼市などで15店のガソリンスタンドを営んでいる高橋正樹さんは震災後、「気仙沼地域エネルギー開発」を立ち上げ、再生可能エネルギーの開発を始めました。東北は車社会。ガソリンスタンドだけで生計は成り立ちます。でも石油は海外からの輸入で、どんなに売れても地域に還元できない。

 そこで彼は、地域で林業を営む事業者と手を組んで、エネルギーの生成を始めたのです。 実際に被災地で企業を回っている事業統括ディレクターの山内幸治によれば、「電話一本で相談できるネットワーク」が広がったことも大きい。世界のイノベーションを牽引(けんいん)する米シリコンバレーでは、日夜開かれるパーティーで人的ネットワークが広がります。人と人をつなぐ「おせっかい」も多い。困ったときに相談できる。そんな「ソーシャルキャピタル」の精神が、東北で培われつつあるということです。

 震災のときに石巻市にやってきた10万人超のボランティアのうち、一部が地元に残り、東京と連携しながら事業を始めています。官民の壁を越えて助け合った宮城県女川町では、民間の人が集まる飲み会に、町長や役場の職員、教育委員会の人がいたりする。まさに「電話一本で相談できる」関係性が地域に生まれ、それがイノベーションの基盤になっています。

 これらは、東北固有のものではありません。「ハブ」になる人を育てればいいのです。女川町には、役所と地域、企業のニーズをマッチングする中間支援組織があります。先般は、あるギター工房を町外から誘致しました。仙台でギターを販売する事業者と町を「ハブ」的な人材がつなぎました。大規模な投資をしなくてもイノベーションが生まれるという好例でしょう。

AERA  2016年2月22日号より抜粋