すったもんだの揚げ句、首相の鶴の一声で計画が白紙になった新国立競技場の整備計画。今月に入ってデザインなどの再公募を始めたが、迷走を始めた発端は6年前の北欧にあった。(ジャーナリスト 山田厚史、青柳雄介)
建設計画が大きく揺らいでいる新国立競技場。その現場はいまどうなっているのか、行ってみた。
JR中央線の千駄ケ谷駅から東へ歩いて5分ほど進むと、白っぽい木の塀で覆われた国立競技場跡地が視界に入ってくる。重機のうなるような低い音が響く。メインゲートがあった千駄ケ谷門は、工事車両の出入り口になっていた。
1月から始まった解体工事は、今月末で終わる。囲いの隙間からのぞくと、スタンドなどの建物はすべて取り壊され、ブルドーザーが土を掘り起こしていた。
「周辺にある高い木960本のうち740本を伐採する」
国立競技場建て替えの事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は言う。
土ぼこりが舞う周辺に人通りはほとんどなく、寂寥感と殺伐とした雰囲気が漂っていた。
旧競技場の解体工事は着々と進むが、新競技場の建設計画は足踏み状態。政府はどこでかじ取りを誤ったのか。
「コペンハーゲンの敗退」が迷走の起点という指摘がある。
2009年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれたのがコペンハーゲン。ここで16年五輪の開催地はリオデジャネイロに決まった。
●誘致勝つには巨大スタジアム
民主党の文部科学副大臣(当時)として乗り込んだ鈴木寛はこう感じた。
「8万人収容のスタジアムがなければ誘致競争の土俵にも上がれない」
東京都が東京湾岸地域に予定した新スタジアムは、収容人数こそ最大10万人とうたっていたが、内実は安藤忠雄の絵コンテが示された程度の段階で、誘致の意欲を示すには力不足だった。
2年後に始まった再度の挑戦で、JSCは20年五輪に用意するスタジアムは建設費1300億円と決める。今と比べるとつつましく思える額だが、当時の常識を突き抜ける大盤振る舞いだった。ところが翌年に国際コンペが行われ、ザハ・ハディドの案に決まると工費は3千億円超に膨らんだ。
デザインが奇抜、工事が複雑、資材費が高騰……。理由はいろいろあるが、見落とされている問題がある。新国立競技場の規模である。他国の五輪スタジアムに比べ、けたたましく大きい。
ザハ案で延べ床面積は29万平方メートル。他国を見てみよう。12年のロンドン大会の競技場は10.9万平方メートル(建設費650億円)、00年のシドニーは8.1万平方メートル(同460億円)。他の先進国の主会場を三つ合わせた規模は、スタジアムの戦艦大和とでも言うべきものだ。
弱いとされる交渉力を補うためインパクトの強いデザインが必要だった、という声もある。
実際「29万平方メートル」は宣伝用だった。東京開催が決まると、JSCはデザインを修正。カブトガニに似たスタジアムの尻尾の部分を切って規模を22万平方メートルに削り込んだ。それでもロンドンの2倍超。8万人収容は同じなのに、なぜ規模が2倍になるのか。ここに新国立競技場の謎が潜んでいる。