大学卒業後、第1希望だった大手小売企業で働いた。業績は同期のなかでもトップクラス。出世街道を上っていくのは快感だった。だがバブル崩壊後で、景気は後退し、モノは売れなくなった。心身をすり減らして働いても、無理のある売り上げ目標は達成できない。疲れ果て、うつ病の一歩手前で会社を辞めた。

 当時、周りに対しては、「バーをやりたい」という夢を追うために会社を辞めるのだ、と強気に振る舞ったが、逃げが7割ぐらいだったと振り返る。

 降りることは簡単ではない。年収600万円を捨てることへの恐怖や、社会に背を向けようとしているだけではないのか、という自分自身との葛藤。それらは退社後1年間、国内外を旅するなかで、徐々に消化していった。会社員時代、大量に所有していたバイク、楽器、スーツも処分した。

「いい家や年収ではない何かで社会を見返してやろうと思っていました。金を持っているやつらよりも幸せに生きられることを証明してみせる、と」

 今は、世の中を変えていくためのモデル作りを考えている。休日は千葉県匝瑳市の田畑に通い、米と大豆を自給する。生活に農的要素を入れると生きる安心感を得られるし、自然からインスピレーションももらえる。

AERA  2015年5月25日号より抜粋

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