猪子寿之さん(37)チームラボ代表1977年生まれ。東京大学工学部卒。デジタルアートを融合させた作品を手がける。「チームラボ、踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」を日本科学未来館で開催中(撮影/写真部・松永卓也)
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猪子寿之さん(37)チームラボ代表
1977年生まれ。東京大学工学部卒。デジタルアートを融合させた作品を手がける。「チームラボ、踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」を日本科学未来館で開催中(撮影/写真部・松永卓也)

 教科書を読み、年号を丸暗記し、計算問題をひたすら解く。学びたかったのは、そんなことではない。チームラボ代表の猪子寿之さん(37)は、アナ雪にみる時代の変化を引き合いに出し、理想の勉強について話す。

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これからの教育を語るのに、僕がどういう教育を受けてきたかを振り返っても意味がない。なぜなら、僕が育った20世紀とは全く前提の異なる新しい社会が始まっているからだ。

 インターネットで瞬時に情報が共有され、一つの正解を知っているだけでは差異を生めない時代、求められる能力も変わってきた。年号を覚えているとか、計算がうまくできるかより、チームでクリエーティブな成果を出せるほうがずっと重要になっている。

 例えば映画「アナと雪の女王」。監督が誰か言えますか?ほとんどの人は答えられないはず。そこが宮崎駿作品との決定的違い。デジタル社会では、制作のプロセスや組織のあり方が違ってきていて、個人の天才的な監督の存在より、チーム力がより問われるようになっている。

 チームはグループとは違う。グループは、欠点がないことを前提とした均質的な個人の集合体だが、チームは、欠点もあって、能力や専門性の異なるメンバーから成る。コミュニケーション能力が必須と言われるけど、グラフィックのデザイナーが、ちゃんとデザインのスキルを持っていれば、極端な話、空気が読めなくても、日本語が破綻していても構わないわけで、結果的にチームで補い合っていいものが生み出せればいい。誰もが完璧である必要はないと思う。

 それなのに、現状の教育は欠点のない均質的な個人の存在を前提とし、幼い時から個人プレーをたたき込む。宿題をするのもテストを受けるのも個人、受験も個人で評価する。世の中全体が、個人の天才性に救いを求めすぎているんじゃないかな。

AERA  2015年3月16日号より抜粋