南場智子(なんば・ともこ)1962年、新潟市生まれ。津田塾大学を卒業した後、86年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。99年にDeNAを起業し、携帯向けオークションサイトの「モバオク」やソーシャルゲームの「モバゲー」など、さまざまな事業を展開してきた。著書に『不格好経営』(撮影/高井正彦)
南場智子(なんば・ともこ)
1962年、新潟市生まれ。津田塾大学を卒業した後、86年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。99年にDeNAを起業し、携帯向けオークションサイトの「モバオク」やソーシャルゲームの「モバゲー」など、さまざまな事業を展開してきた。著書に『不格好経営』(撮影/高井正彦)
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 DeNAを創業し、さまざまなオークションサイトの「モバオク」やソーシャルゲームの「モバゲー」など、さまざまな事業を展開してきた南場智子さん。最近やっと自分の目指すビジネスマンに近づいてきたという南場さんに、仕事への思いを聞いた。

「いま、やっと自分が目指すビジネスマン、自分が好きなビジネスマンにあと一歩でなれそうだというところまで来られたような感じがあるんですよね。私は負けず嫌いなので、1番になることに必死になるし、自分が失敗すれば落ち込むこともある。ともすると、事業全体がどう進むかより、自分がどうかということのほうで心にさざ波が立ってしまうこともあった。

 でも、やっと最近、『自分』のことが薄まって、目標に向かって事業を進めることや、社会にうねりを起こすことに集中できるようになってきた。ただただ純粋に『事』に向かう姿勢って、非常に難しいものだけれど尊いと思うんですよね。私も、どのチームに呼んでもらっても、いい働き手になれるかな、と少し自信が出てきました」

 自身を、「がるる系」と表現する。「がるる、がるる」と、猛烈に仕事をしてきたからだ。だが、その働き方を見直す機会があった。

 2011年、病を患った夫の看病に専念するため、DeNAの社長を退いた。取締役として会社には残ったが、2年間ほどは看病が中心で、仕事に割く時間は以前とは比べものにならないほどに減った。

「それまでは、自分が前線に立って闘う役をしてきたけれど、この時期は後方部隊を担うことになった。会社の中の『目立たない存在の頑張り』に、今まで以上に目がいきました。例えば、法務や経理など、事業に前線で関わらない部隊が、目を皿にして契約書をチェックしていることがどれだけビジネスの成功を高めることに貢献しているか。

 私自身もその時期、限られた仕事しかできない中で、取締役会に出るときは、たった2時間の間に、いかにいい気づきを与えるか、本質をついた発言をするかに集中しました。それぞれの立場で、事業を成功に導く確率を1%でも高めるために必死になることが大事だと、改めて気づきました。あの期間があったことで、私もモードチェンジできて、幅を持って戻ってくることができたと思っています」

 夫の回復を受けて、再び取締役として前線に戻った。社員が育児や介護で休むことにもうんと理解が持てたし、健康のありがたみなど縁遠かったころには、思いも及ばなかったヘルスケア関係の新規事業にも携わる。

AERA 2014年7月7日号より抜粋