病気療養中の皇太子妃雅子さまへのバッシングが止まらない。雅子さまへの批判の多くは、「頸椎症性神経根症」と診断されながらも、献身的に激務をこなされている美智子さまと比較して語られているからだ。
民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは、これまでの皇室の慣例を変えて親子同居し、子育てや料理を自らの手で行うようになった。また、海外の“カップル文化”を日本の皇室に持ち込み、天皇に同行される公務は大幅に増え、2000年ごろには両陛下の公務は宮中祭祀を含めて年間約1300件といわれるほどだった。
両陛下が一緒に地方を訪問される行幸啓(ぎょうこうけい)のうち、「全国植樹祭」「国民体育大会」「全国豊かな海づくり大会」は3大行幸啓と呼ばれ、美智子さまが欠席されたのはこの24年間で、1993年の国体のみ。
昨年10月に「78歳」の誕生日を迎えられて以降も、すでに沖縄や岩手など8府県を訪問。現地では福祉施設や農家、企業の視察、知事らとの面会を重ね、神奈川・葉山と静岡・須崎の御用邸での計2回8日間の静養中もそれを欠かされなかった。御所に戻っても、名誉総裁を務める日本赤十字社や女性団体のイベントへの出席のほか、2、3日に一度は展示会や演奏会に足を運ばれ、平日は公務詰めの状態になっている。
一般家庭でも78歳といえば、体を第一に、静かに余生を過ごす年齢だが、美智子さまの場合はそうではない。皇室ジャーナリストの松崎敏彌氏が言う。
「皇后になれば、天皇陛下の補佐役として陛下の次に仕事が多く、責任も重くなっていきます。特に美智子さまの代から、歴代の皇后がされてこなかった仕事も増えました。『私とともに皇后は』と陛下がよく口にされていることからもわかりますが、互いに支え合う夫婦像や生活スタイルを国民に示していくことを意識されているのでしょう」
現在の雅子さまと同じ「49歳」の皇太子妃時代には、すでに天皇陛下とともに海外4カ国、国内6道県を訪れ、そのスタイルは確立されている。ご静養は軽井沢で過ごした9日間のみ。
もっとも、実は、それまでには長期静養されていたこともあった。63年3月に第2子を流産された後も葉山御用邸や軽井沢のホテルで、公務を挟みつつ、7カ月静養された。その期間は雅子さまの3カ月よりも長かったと、皇室ジャーナリストの友納尚子氏は言う。
「美智子さまも軽井沢での静養や、終戦記念日にテニスをされていたことが批判されたこともありました」
皇太子妃は、批判を浴びやすい立場なのかもしれない。
※AERA 2013年8月12-19日号