King of Hobby。欧米では鉄道模型趣味のことを敬意を込めて、こう称する。車両や鉄道を走らせるジオラマなど、作り手の情熱とこだわりが完成度に強く反映される様は「趣味の王様」と呼ばれるにふさわしい。
【原コレクション 特選50両の写真特集はdot.フォトギャラリーで】
原信太郎(のぶたろう)さん(94)は、海外でも名を知られた人物だ。これまで自作、改良、注文制作して築きあげた鉄道模型のコレクションは約6千両に達する。そのうち約1千両を公開する「原鉄道模型博物館」(横浜市)を昨年7月に開設し、約1年間の入場者数は30万人弱に達した。
日本では子どもの趣味という印象が強い鉄道模型だが、これは日本では実寸の148~160分の1(レール幅9ミリ)の「Nゲージ」という小さな規格が主流のためだ。海外では、この倍(80~87分の1、レール幅16.5ミリ)の「HOゲージ」、さらにその倍(43~48分の1、レール幅32ミリ)の「Oゲージ」が主流となっている。
原さんのコレクションはこのOゲージと、さらにこれより一回り大きい1番ゲージ(32分の1、レール幅45ミリ)の車両。買えば一両当たり数万円ではきかない高価なものだ。
◆◆1両に9千の部品も
原さんは徹底的に「本物らしさの再現」にこだわり、モーターやライト、可動のパンタグラフ、その他細かな部品、車両につけられた列車番号、社名表記にいたるまで忠実に再現する。
列車の図面が簡単に手に入るわけではなく、これと決めた列車は隅から隅まで撮影して、それをもとに細かい部分まで自分で図面を引き、部品を切り出して組み立てる。原さんのコレクションの中には、自作ではないが、9千もの部品を組み立てた芸術品のような列車もある。
今回アエラ編集部は原さんに依頼し、コレクション6千両の中から50両を選び、解説をつけてもらった(フォトギャラリー参照)。一番好きな車両はという質問には、
「子どもたちのうち誰が一番好きかっていう質問と同じで、答えるのは難しいですよ」
50両を国別に見ると一番多いのは日本(朝鮮半島、中国北東部で走っていたものも含む)の18両。次いでアメリカ11両、ドイツ8両、スイス6両。
自分と同じ生まれ年で、「小さいころに乗って、急勾配を滑りやすい車輪で登ったり、いくつものブレーキ構造を使って下りたりする技術に感動した」という箱根登山鉄道チキ1形のほか、朝鮮戦争で消滅した金剛山電気鉄道の車両など、今では見たくても見られない車両、世界最初の地下鉄電車であるブダペスト(ハンガリー)の地下鉄や日本初のパンタグラフ付き車両(国鉄デハ6340形)といった鉄道史上重要な車両が並ぶ。
中でも逸品は1906年に九州鉄道(のち国有化)がアメリカから購入したものの、ほとんど営業運転されなかった幻の豪華客車、通称「或る列車」。東京の田町機関区で実物を見た原さんは、その記憶と資料をもとに内装のステンドグラスやインテリアも再現し、5両編成の模型を7年がかりで作り上げた。
また、スイス国鉄の「Ae4/7」やフランス国鉄の「2D2形」といった車両では、日本の鉄道では実用化されなかった「ブッフリー式」という外付けモーターをそっくり再現して自作しているが、これは世界でも類を見ない模型だという。
◆◆レールは鉄製に
日本のものは関西の鉄道が多い。これはかつて関西の私鉄が個性的で技術力が高かったためだという。戦後、特に新幹線以降の車両にあまり制作意欲はそそられない。次男で副館長の原健人さん(58)は、理由をこう語る。
「新幹線以降の列車は、その技術力を評価しているのですが、コンピューター制御などであまりに機能性を追求しすぎて、血の通った技術力や電気技術力が感じられないというのです」
鉄道模型の「味」は、外観だけではなく、その技術から生まれた細かな部品のディテール、走行音や匂いなど様々な要素がからみあう。
「列車の持っている『味』は写真では表現できない。だから模型で作るんです」(原さん)
だからこそ、見た目以外にも様々な部分にこだわる。例えば、音。実際のモーターを再現することで、より本物らしい音が生み出されるが、さらにレールについても、一般的な鉄道模型は真鍮製のところを、原さんは本物の鉄道と同様に鉄製の車輪とレールを使う。そうすることで車輪がレールをこする音や継ぎ目を通過するときの音がよりリアルに響くのだという。
また、鉄道模型は一般的にはレールを通じて電気を取るが、原さんの模型では本物同様に架線を張り、パンタグラフから集電させる仕組みになっている。ギア部分やモーターも工夫し、モーターの駆動を止めても列車が走り続けられる(惰力走行)ようにした。吊り掛け式の台車は揺れ枕が搭載され、車輪にはベアリングも入れた。
原さんは言う。
「列車の写真を見ていたら、自分の作ったものとの違いが見えてくる。板バネの一枚一枚、コイルの一つ一つも全部自分で作らないとダメなんだよね」
原さんの最も古い記憶は3歳の時、自宅近くの東京・品川電車区。そこと都電(当時は市電)車庫をはしごするのが幼少期の日課だった。4歳の時に遭遇した関東大震災では、祖母に買ってもらったブリキ製電車のおもちゃを持って逃げた(これも博物館に展示されている)。
13歳の時、トタンを使い、鉄道模型を初めて自作した。50両に選ばれている「自由形電気機関車8000号」で、パンタグラフも上下に動かすことができ、今でも走る。
模型だけではなく、新しい路線ができたときの「一番切符」のコレクションも珍しいものばかり。人から買うのではなく、自分で足を運んで手に入れる。東海道本線の熱海-函南(かんなみ)(いずれも静岡県)間の丹那トンネル開通時(34年)には、中学をさぼってかけつけたが、その様子を新聞記事に取り上げられたために学校にばれて、きつく叱られたという。
◆◆缶詰で模型を自作
戦争中も、物資不足の中で缶詰をたたき延ばしてボディーを作るなどして、模型作りを続けた。38年には朝鮮半島に旅行して金剛山電気鉄道に乗車、42年には旧満州国(中国東北部)のハルビンに旅行し、市電を撮影している。
東京工業大学で鉄道技術を学んだのち、義父が創業社長ということもあり51年にコクヨに入社。技術部門の責任者として様々な技術開発にかかわったが、やはり生活の中心は鉄道趣味だった。海外旅行がまだ自由ではなかった56年に社用で渡欧し、行く先々で列車を撮影。その後も和装に身を固めて海外に鉄道視察に訪れた。
模型制作のためには何枚も写真を撮らなければいけないが、多くの国では、鉄道は機密情報扱い。台湾、トルコ、エジプト、エチオピア……警察や駅員に拘束されたことも数多いが、堪能な語学でなんとか切り抜けた。
◆◆自宅に鉄道好き外国人
海外は鉄道趣味に対して理解が深いこともあり、逆に普段は見られないような車庫の中や構造まで見せてもらった経験もある。70年にはドイツで取引先の社長に気に入られ、実際に旅客を乗せた機関車を運転したこともある(この機関車は「DB E03」)。大阪の自宅(当時)は鉄道趣味をきっかけに知り合った外国人がしょっちゅう出入りし、民間外交の拠点のような様相を呈していたという。
大学時代の友人の妹だった妻の美津子さん(87)とは49年に結婚した。在学当時から「熱狂的な鉄道好き」として原さんのうわさを聞いていた美津子さんは、結婚に際して、「そんなに好きなら、結婚してもずっとそれを通させてあげよう」と心に決めていたという。
◆◆子どもに悪口言わず
帰宅後は深夜まで模型作製に没頭し、休日となればカメラ片手に鉄道撮影に出かけ、3人の子どもが模型に触ると激怒するなど鉄道中心に生きていく原さんをサポートし、魚も野菜も嫌いな原さんのために子ども用とは別の食事を作ってきた。外国人が頻繁に訪れ、台所や床の間にまで鉄道模型が侵食していく中、子どもたちに向かって、父の悪口は決して言わなかった。健人さんはこう振り返る。
「こういう趣味を持っている人はだいたい家族の中で孤立する人が多いようですけど、母は父親を尊敬できない子どもは不幸になると言って、父の文句を言わなかった。そこは本当にすごいし、子どももみんな父親のことを好きでいられた」
どうしてそんなことができたのか、美津子さんはただ一言こう語る。
「理屈やありません、愛情です」
いまだに鉄道趣味とは縁がなく、メカ関係にもうといという美津子さんこそが、この世界的コレクションの真の立役者なのかもしれない。
【Info】
原鉄道記念館は開館1周年を記念した特別展を開催中です。(9月2日まで)
また、8月24日(土)、8月25日(日)の週末には「初心者のための鉄道模型教室」が開催されます。詳細については下記ホームページでご確認下さい。
原鉄道博物館 イベント案内ページ
http://www.hara-mrm.com/event/event1306_01.html
AERA 2013年7月1日号