──ミステリーの要素もあり、ラストが見事に決まっています。
新たに小説を書くときは、必ず一つ、自分に試練を課すようにしているんです。成長しない作家は飽きられますから、死ぬまで作家として生きるためには、失敗することがあっても何度でも挑戦し続けることが大切なんですよ。本作では、ただ7編並べるんじゃなくて、そのなかで見えない主人公を浮かび上がらせることに挑戦しました。三成視点の文章はどこにもないが、読み終わるまでそれに気が付かないぐらい、三成を克明に描き出したかった。
──アイデアは尽きない?
まったく尽きないです。むしろ、死ぬまで増え続けると思います。今、歴史小説にしたいアイデアは20に迫るぐらいはあるので、年に2冊単行本を出したとしても10年かかる。しかも一冊書いている間に、二つ三つは思いつくので、追いつきません。
■頭の中に史料の索引がある感じ
──小学生のときから歴史小説を読んでいたとか。
小学5年生のときから、読書の9割が歴史・時代小説です。山本周五郎先生、吉川英治先生、司馬遼太郎先生、藤沢周平先生、海音寺潮五郎先生、陳舜臣先生、そして浅田次郎先生、北方謙三先生とひたすら買って読んでました。周囲からは「なんぼほど買うねん」って呆れられていましたね。
──ハマるきっかけは?
池波正太郎先生の『真田太平記』を古本屋で買ったことです。この本に出会わなかったら僕は小説を書いてなかった。いまだに家の本棚のいちばんいいところに置いてありますよ。
──小学生からの蓄積は強みになりますか。
その頃から歴史に関する専門書も読み続けてきましたから、実は今、頭の中に史料の索引がある感じなんですよ。「この場面はあの史料のあの部分を読み返せばいいな」「あの一次史料とあの逸話を組み合わせれば面白くなるな」と、頭の中でネットサーフィンするように、脳内の情報を探っていくことができるんです。
──史料探しや史実の確認にはあまり苦労しない?
比較的そうだと思います。ただ、僕は一次史料に忠実であろうという気はあまりなくて、良質な一次史料も、「日本昔ばなし」レベルの逸話も、それぞれをひとつの具材として、おいしい料理を作っていく感じなんですよ。完全なフィクションだと思って楽しんでくれてもいいですが、歴史に詳しい人なら「おお、ここにあの史実を使ってきたか!」と思うような、読み手によって「読み味」が変わるような小説を心がけています。