肩を並べて焦げた鍋をのぞきこみながら、小松原さまは言う。「俺の女房殿にならぬか。共に生きるならば下がり眉がよい」
ちょっともう決定だわ。本年度プロポーズセリフ大賞決定だわ。けれど、あかぎれで真っ赤な澪の手。何度も何度も冷たい井戸水でほうき草の実(とんぶり)をさらしたせいだ。
ニベアもホカロンも無い時代の身分違いの恋。小松原に嫁ぐならばすべてを捨てねばならない。恋を選ぶか、料理を選ぶか。
夜明けの古ぼけた稲荷神社で向き合う二人。淡い光の中、小雪がちらつく。
「お許しくださいませ」
涙をこらえて土下座する澪。その答えがどこかでわかっていたかのように明け方の空を仰ぐ小松原。
「顔をあげよ、下がり眉。その道を選ぶのだな」
手をつなぐこともない、抱きしめることもない。その時代の別れの場面、男はそっと柘植(つげ)の櫛(くし)を女の髷(まげ)にさし、「澪」と初めて女の名を呼んだ。くぅ~っ、いい出汁(だし)出てる。湯気ごと吸いこみたくなるようなこの味わい。役者も物語も演出も、すべてがしみじみとした江戸の恋物語だった。
※週刊朝日 2020年1月3‐10日合併号