など、まなほが逆上しておそいかかってくるような、意地悪を言ってやります。
でも内心では、この子は凄くイケメンで頭がよく、将来ノーベル賞を貰うような人物になるだろうと信じています。
私には昭和十九年八月一日に、北京で生まれた娘があり、彼女の子が産んだひ孫が、三人も出来ましたが、三人とも女の子です。
まなほのお腹の赤ちゃんが、自分の男の子の赤ちゃんのような気がしています。
つい最近の法話の日のことでした。道場に百六十人ほどが、ぎゅうぎゅうにつめこまれて座っていました。いつものように私の話が終わり、質疑応答の時間になった時、座の中央あたりから、紳士が一人で手を挙げてマイクを求めました。堂々とした初老の紳士が立って話されました。
「私は、北京で寂聴さんが、女の赤ちゃんを産まれた病院の、院長の息子です」
「ああっ!」
と私は悲鳴をあげました。
産気づいて、ヤンチヨ(人力車)に乗って、夫と二人でその病院へ行った空の、冴え渡った月の光をはっきりと覚えています。
西単(シイタン)の中ほどの路地の奥に、こぢんまりとしたその産院があり、院長先生はおだやかな物腰の、やさしい紳士でした。その明け方、私は嘘のような安産で、娘を産んだのです。
今、その娘は七十五歳の未亡人になっていますが、二人の子を産んだので、孫が三人も出来ています。私にとってはひ孫です。三人とも女の子で英語しか話せません。
北京の院長先生は、引き揚げて和歌山の方でお暮しでしたが、よく御家族に私のことを話されたとのことでした。私も文通をして、そのうちお逢いしましょうと言いながら、果たせず、亡くなられたのでした。
ヨコオさん、人間って、生きていたら、死ぬまでに思いがけないことが起こりますね。
私はさすがに、全身が老衰のため、みるみる弱ってきましたが、新しい年を何とか迎えられそうです。あるいはクリスマス過ぎに、ぽっくりあちらへ旅立つかも。それもまたよし。
ヨコオさんに倣って、私もせいぜいこの世の残りの時間を、愉しく、美味しく送りましょう。では、またね。いい夢を─。
※週刊朝日 2019年12月6日号