その代りに忙しくなります。依頼される仕事で忙しいのではなく、自分の趣味の延長上で、遊びと同一化した仕事(これを仕事と言っていいか、どうか迷うところです)ですから、つまり遊びで忙しくなるということです。ここには目的も結果も執着も、野心も欲望もないわけです。なるようになることにまかせる生き方ですから、どうなってもいいわけです。
ですから、思想もありません。絵の主題も様式もありません。誰が描いたかわからないような絵になってくれれば、言うことないです。個人(自我)という自分を持ちながら、個という普遍になれれば最高ですね。レンブラントが自画像を描き続けたのは自分を消す作業でもあったように思います。
セトウチさんも得度をすることは、世俗的な自分を消滅させる作業(?)だったんですね。そのために女の命である髪を切っちゃったわけです。そして好きなことだけをして遊んでいらっしゃるんでしょう? そのために、うんと長生きして下さい。
老齢の生き方は創作という遊びしかないように思います。
ものを作ることで長寿が約束されるのです。
セトウチさんを見ているとそう思います。長生きの特効薬はこれしかありません。
■瀬戸内寂聴「意地悪 内心では…」
ヨコオさん
日がどんどん過ぎてゆき、今年も早くもクリスマスがそこに近づいてきました。
寂庵では、秘書のまなほのお腹にいる赤ちゃんが、みるみる育って、毎朝、まなほが寂庵に来て、
「お早よう」
と、私の寝室へ飛び込んで来る度、目に見えて大きくなっているお腹が、まだベッドの私に力強く迫ってくるので、恐怖を感じます。
はちきれそうな大きな西瓜が二つくらい入っていそうなお腹から、今にも赤ちゃんが飛び出してきそうな迫力です。赤ちゃんは男の子で、鼻が高いそうです。今では何でもそういうことが機械でわかるそうですね。まなほは、鼻の高い赤ちゃんは、自分に似ていると決めています。私はわざと、
「九十七歳の私が見てきた限り、美男美女の親の赤ちゃんに、案外、ブスちゃんが生まれているのよね、どうしてかな」