

人生100年時代、高齢者と呼ばれる65歳といえどもまだまだ折り返し地点。人生のターニングポイントともいえる。冒険家の三浦雄一郎さん(87)もその一人だった。どんな決断をし、どう生きることを決めたのか、挑戦心あふれる三浦さんから今後の生き方を学ぼう。
【写真】70歳のときにエベレストに登頂した三浦雄一郎さんと次男の豪太さん
三浦雄一郎さんは65歳のとき、
「このままでは余命3年」
と医師から告げられた。
三浦さんといえば、スピードスキーの世界新記録(当時)をたたきだしたり、世界最高峰のエベレスト(8848メートル)の8千メートル地点から滑り降りたりするなど、世界的なプロスキーヤー。53歳だった1985年に南米最高峰のアコンカグア(6962メートル)からの滑降に成功し、目標だった世界7大陸最高峰のスキー滑降を達成した。
「これで燃え尽きてしまったんです。ちょうど(冒険家の)植村直己さん(84年に米国のデナリ=旧マッキンリー=で遭難)のこともあって、もう危ないことはやめようと思いました。僕の住む札幌は、ビールとジンギスカンがおいしい。連日、飲み放題、食べ放題の店に通いました」
それを10年続けたら、身長164センチで体重は90キロ近くにまで増えた。
ある日、ひざを痛めた妻を病院に送ったところ、医師に検査を受けるように言われた。その結果が前述の余命宣告。血圧は上が190もあるうえ、不整脈で、糖尿病寸前、腎臓も人工透析一歩手前の状態だった。
その前から、三浦さんは体の不調を感じていた。朝起きると、しばしば胸を押さえつけられたような苦しみに襲われたのだ。
「狭心症の発作だったんです。でも、こんな体だとばれるのが嫌だったんですね。かっこう悪い。見えが邪魔して、素直に病院に行く気になれませんでした」
改めて自分の体の状態と向き合ったとき、三浦さんは(2006年に101歳で亡くなった)父で山岳スキーの先達・敬三さんと、次男でモーグル選手・豪太さんのことを思ったという。
「おやじはまだ現役でした。90代になって3回骨折しているんですが、ちゃんと回復したんです。また(欧州の)モンブランを滑りたいという強い気持ちで、治したんですね。後に99歳でモンブランを滑りました。豪太は、(98年の)長野冬季五輪を目指していた時期です。おやじと息子が頑張っているのに、俺だけ何をやってるんだ。60歳そこそこでくたばっていられるか、と思ったんです」