西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「宗教との付き合い方」。
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【ポイント】
(1)宗教の根幹には深い畏れの感情がある
(2)私にとって畏怖心の対象は聖なる虚空
(3)聖なるものへの畏怖心を持つのは悪くない
人生も後半になると、信仰心がない人も宗教のことが少し気になってくるものです。やはり自分の死が近づくからでしょうか。
私自身は宗教に対してあまりいいイメージを持っていません。それは宗教には教団が付き物だという感じがあるからです。広辞苑で「宗教」を引いてみても、「帰依者は精神的共同社会(教団)を営む」というくだりがあり、「多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形でもつ」と書かれています。
生来、団体行動が嫌いな私は宗教のそういった側面がなじめないのです。なにせ、小中学校時代は運動会や学芸会が嫌いでしたし、今は宴会やパーティーが苦手です。
しかし、宗教のそういう面が本質ではないということも感じています。宗教学者の鎌田東二さんは著書『宗教と霊性』(角川選書)の中で宗教とは何かを語っています。それによると、宗教とは明治時代にreligionを翻訳した言葉で、このreligion(ラテン語のreligioが由来)の語源には三つの説があるそうです。
一つ目は神話や儀礼や祈りを反復するという意味、二つ目は神と人とを再び結びつけるという意味。そして三つ目は根源的な畏怖心という意味だというのです。聖なるものや不可思議な事物に直面したときの深い畏(おそ)れの感情がreligionの語源だというのです。鎌田さんはこの3番目の説を支持して、それこそが「宗教」「宗教心」の根幹にあるものだと語っています。
私もこの「根源的な畏怖心」という言葉は腑に落ちます。私も聖なるものに対する畏れの感情を持っているからです。その感情が宗教の根幹なら、私もひとかどの宗教者だといえます。