代替わりのクライマックスに位置づけられる大嘗祭(だいじょうさい)が11月14日夜から15日未明にかけて執り行われる。過去には、天皇霊が新天皇の身体に入る「秘儀」といった学説も語られた。暗闇の神域で天皇陛下と皇后雅子さまが行う儀式の中身とは。
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漆黒の闇が大嘗宮(だいじょうきゅう)を包む。深夜、「大嘗宮の儀」が続く。悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿に置かれた寝具(寝座)で天皇霊と天皇が一体になる「秘儀」が行われる──。
昭和の大嘗祭の2年後の1930(昭和5)年。柳田国男と並び民俗学の2大巨頭であった折口信夫は、「大嘗祭の本義」で、独自の祭祀(さいし)論を書き記した。
「恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た」
「天皇霊が(身体に)這入(はい)つて、そこで、天子様はえらい御方となられるのである」
折口は、「大嘗宮の儀」によって、天皇は復活して完全な天皇となる、という解釈を説いた。
呪術的な「秘儀」をイメージさせる折口説は、平成の大嘗祭で世間の興味をひいた。一方、宮内庁は、「特別の秘儀はない」と打ち消すように強調した。
「布団と枕の置かれた寝座は、天照大神のための場所ですから、天皇は立ち入ることはできません」
そう話すのは、国士舘大の藤森馨教授(歴史学)だ。「大嘗祭の本質は、皇祖である天照大神をもてなすこと。平和や豊作を祈願する儀式です」
天皇は毎年、皇居内の神嘉殿(しんかでん)で新嘗祭(にいなめさい)を行う。新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも食べて祈る。一年を通じて最も重要な祭祀だ。天皇になって一番初めの新嘗祭が大嘗祭だ。
そもそも大嘗祭は、いつ始まったのか。
「最初は、天武天皇の673年に行われ、皇后であった持統天皇のときに、毎年の新嘗祭と分離しました」(藤森さん)
成立の背景にあったのは、朝廷を脅かす隣国との緊張関係だ。663年に「白村江の戦い」で唐や新羅の連合軍に大敗するなど、日本は存亡の危機にあった。