ついでにいうと、わたしはよめはんの銀行口座を知らないし、預金額も暗証番号も知らない。株も持っているはずだが、銘柄も株数も知らない。訊(き)いても教えてくれないからだ。対するにわたしは複数の口座も暗証番号もよめはんに訊かれて正直に答えているから、露天掘りの鉱山状態であり、通帳もめったに見ないから、預金が理不尽に減っていてもまったく分からない。金銭面においてわたしはよめはんに全幅の信頼をおいているが、その逆は絶対にないと断言できる。
「わたし、明日、京都に行くからね。舞妓ちゃんのデッサン」
「ご苦労さまです」
「晩ご飯、残りもので食べといてね」
「承知しました」
よめはんは写生や展覧会で週に二日は外出する。わたしは一年三百六十五日のうち、三百日は家にいる。元来が出無精だし、ひとに会うと疲れるから。
それにわたしは電話が鳴っても立ってまで受話器をとったりしない。だから、かかってくることもほとんどなくなった。仕事で必要な連絡事項はメールでくる(そもそも電話というやつはこちらの都合に関係なく、うるさく鳴って、ひとを呼びつける。迷惑千万、失礼極まりない。いっそ解約しようと思うが、ファクスは必要だからそういうわけにもいかない)。
友だちや親しい編集者はわたしの電話の声を、腐りかけのゾンビのようだというが、ゾンビはたいがい腐っている。ひとの頭は齧(かじ)りたいが、ひととつながりたいとは思っていないだろう。
※週刊朝日 2019年11月22日号