9月19日、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に、東京地方裁判所は無罪判決を言い渡した。作家・室井佑月氏は、その判決に異議を唱える。
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悪さをした子どもを叱るとき、大人は、なぜそれが悪いのかを教えてきたのだろうと思う。「まわりの迷惑になるから」であったり、「嫌だといってる人(親であるあたしを含め)がいるから」であったり。
そして、子どもが悪さを認めて謝ってきても、ほんとに悪いと理解したかを問いただしたはずだ。
約束は極力守らせる訓練をし(すべてそうしきれないが)、責任というものを持たせようとした。
子を育てるうえで、それはごくごく普通のことだと思っていた。その考えが揺らぐ日がまさか来るなんて、思ってもいなかった。
2011年3月の東京電力福島第一原発事故をめぐり、東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判は、全員無罪となった。
福島第一原発は東日本大震災による巨大津波に見舞われ、原子炉3基がメルトダウン、そのせいで最大時には約16万人(震災全体で47万人)が避難する羽目になった。
そして、メルトダウンそのものによる死者ではないが、入院していた病院から避難を余儀なくされるなどして、44人が亡くなった。
このような大きな罪は東電だけではどうにもならず、その上のこの国に責任を負わせたというならまだわかる。けど、違う。逆だ。責任を負う人間を作らないことにしたのだ。
9月19日の中日新聞の夕刊によると、「公判は、海抜一〇メートルの原発敷地を超える高さの津波を予見し、対策を取ることで事故を防げたかどうかが争点だった」という。「東電の地震・津波対策の担当者らは、原発事故が起きる三年前の二〇〇八年三月、国の地震予測『長期評価』に基づく試算値として、原発を襲う可能性がある津波の高さが『最大一五・七メートル』という情報を得ていた」と。