


2024年に発行される新1万円札と新千円札のモデル、渋沢栄一と北里柴三郎。その直系の子孫がこのほど、初対面した。経済界、医学界と分野は違えども、ともに民間の側から近代日本の発展に大きく尽力したご先祖たち。実は、意外な接点があることがわかった。
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見城悌治(司会):今回、晩香廬を座談の場にお借りしています。喜寿のお祝いに贈られた洋風茶室だと聞きました。
渋沢雅英:はい。栄一は、喜寿で実業界を引退しました。翌年の1917(大正6)年に建てられ、賓客を迎えるレセプションルームとして使用されました。
見城:雅英さんは、栄一の直系のご子孫ですね。
渋沢:ええ、曽孫の私も94歳になります。
見城:一郎さんは──。
北里一郎:孫です。87歳です。学校法人北里研究所の顧問を務めています。
見城:渋沢さんは、渋沢栄一記念財団の理事長。おふたりは初対面でしょうか。
渋沢:初めてです。
北里:はい。
見城:おふたりのご先祖の、栄一と柴三郎には意外な接点があります。のちほど詳しく触れましょう。
さて、ご先祖が新札のモデルになるとの情報は、いつお耳に入りましたか。
渋沢:政府の発表が4月9日で、私が知ったのは前日です。財務省と国立印刷局の職員がふたりでいらして、「新札のモデルに、渋沢栄一が決まりました」と。数年前から、財務省が写真を借りに来ていたが、直前まで何も知らされていません。
見城:ご子孫に、拒否権はないのですね(笑)。
渋沢:困ったことに、財務省の方は、口外しないでほしいという。いつまでかと弱っていたら、翌日発表されてほっとしました。おかげさまで、ここ北区西ケ原にある渋沢史料館の入館者は3倍に跳ね上がりました。
見城:再来年のNHKの大河ドラマは栄一が主人公の「青天を衝け」に決まったことですし、楽しみですね。北里さんはいかがですか。
北里:最初のコンタクトは2014年です。国立印刷局から「技術者のデッサンのトレーニングで写真を提供してほしい」と依頼があったと聞いています。18年には、「写真の背広のバッジは何か」と細かい問い合わせもあり、新たに画像データ4点を提供しました。
私が初めて財務省の方にお会いしたのは、新札が発表される前日の4月8日の午後です。「新札のモデルに採用するにあたり、親族として許可を頂きたい」と。
見城:栄一は、過去にも候補になっています。
渋沢:伊藤博文が千円札に採用された、1963(昭和38)年の新札のときです。
見城:偽造を防ぐため、当時のモデルには髭が必須。だが、髭のない栄一は、選から外れたとか。
渋沢:そのあとも1、2回候補になったと思います。三度目の正直ですね。