Q:40年の第26回の開会式で、「珍風景」が見られた。何が行われた?

A:水泳や陸上の選手たちと並んで入場行進
 戦時色が濃くなった第26回だけ、全日本中等学校体育競技総力大会のひとつとして開催された。野球、陸上、水泳、体操、バレーボール、バスケットボール、テニス、軟式テニスの8競技の選手約2200人が甲子園球場に集まり、合同の開会式が行われた。各競技のユニホームを着用して参加したため、野球選手に並んで水着やランニング姿の選手も入場行進した。

Q:準決勝、決勝で2試合連続の無安打無得点試合。この前人未到の記録を達成した投手は?

A:嶋清一(和歌山・海草中)
 39年の第25回に出場した海草中の左腕・嶋清一は、全5試合を完封して優勝投手に。決勝での無安打無得点試合は59年後の98年の第80回で松坂大輔(神奈川・横浜)が記録しているが、一人で2度の無安打無得点試合達成は大会史上で嶋ひとりだけ。嶋は明治大に進学後、学徒出陣し、24歳で戦死した。高校野球ファンの間では今でも語り継がれる伝説の投手だ。

Q:52年の第34回で初めて採用されたのは何?

A:背番号
 夏の全国選手権大会でユニホームに背番号がつけられたのは第34回から。1~9は守備位置を表し、現在も採用されている。当時の新聞は「応援に来たお母さんたちや宿舎の女中さんがつけてくれたのだそうだ」と伝えており、甲子園入りしてからユニホームに背番号を縫いつけたことがうかがえる。

Q:延長十八回引き分け再試合の規定を導入するきっかけをつくった選手は誰?

A:板東英二(徳島商)
 名勝負として語り継がれる58年の第40回の準々決勝、徳島商-魚津(富山)は、「延長十八回まで同点の場合は引き分け再試合」とする規定(第82回から十五回に変更、第100回からタイブレーク制)が初めて適用された試合だ。その規定を導入するきっかけとなったのが、適用第1号の当事者でもある徳島商のエース・板東英二。この年の春の四国大会で、板東は高知商戦で延長十六回、翌日の高松商(香川)戦では延長二十五回を完投した。それが問題視され、延長回数制限の規定が誕生した。

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