ところがある日、行きつけの食堂の女主人の息子が読書会を開いただけで警察に拘束され、行方不明になったというので捜し出し、拘置所に面会に行くと、見る影もない姿で全身がアザだらけであった。この学生には、かつて「国家と闘うなんて無駄なことをするな」と諭(さと)したことがあったが、それが拷問のアザであると知って頭に血がのぼったソン弁護士が豹変し、すべてをなげうって国家の不法に挑戦しはじめる。
そこから先が圧巻で、警察で犯罪の捏造が日常のようにおこなわれている冤罪と、さらに、いとも簡単に学生を「貴様は北朝鮮のスパイだ!」と有無を言わせず思想を裁いて有罪にできる恐怖の法律「国家保安法」を警察が駆使していることを初めて知って、「すべての権利は国民にある」ことを、この国に知らしめなければならないと、裁判所で事実を次々と暴いてゆくソン弁護士。
この映画のラストシーンは、学林事件から6年後の1987年、デモ参加の労働者が催涙弾で死亡した時、熱血弁護士ソン・ウソクが労働者側で行動し、法律違反で被告席に坐って裁かれる場面であった。しかし彼が犯罪者でないことは誰もが知っている事実である。釜山の弁護士99人が「ソン・ウソク無罪」の弁護を買って出た感動的な出来事で映画は幕を閉じた。
これらのことが映画の脚本ではなく、すべて事実であるから、韓国人が映画館に殺到したのである。
一連の「学林事件」ですさまじい拷問を受け、有罪となった無実の学生たちに対して、ほんの10年前の2009年に開かれた韓国の再審で、彼らは「無罪」の宣告を受けた。さらに翌2010年12月には、ソウル高等法院が学林事件の再審で「無罪」および「免訴」を判決し、判決文の中で「司法部の過誤によって被告人に苦痛を負わせたことに対して謝罪する。この判決がわずかでも慰めになることを願う」と裁判所が冤罪を謝罪し、2012年6月の最高裁(大法院)でこの事件に対する再審判決が下され、「無罪が確定」したのである。
その時、盧武鉉はこの世にいなかった。2009年5月に、夫人らの不正資金問題を検察に問われ、自分は何一つ過ちを犯していなかったが妻に対する責任を感じ、自宅近くで飛び降り自殺したからであった。