酒やたばことは無縁だったが、甘いものには目がなかったようだ。知人が大福を持参すると走り出て、喉を鳴らしながらいくつも食べた。そんなエピソードを、五味学芸員は紹介する。
60代後半に脳卒中を患ったが、自ら薬をつくり、治したと伝わる。中国の医学書から製法を学び、柚子粥のようなものだった。大病はこの一度で、健康には気遣っていたようだ。
江戸時代は乳幼児の死亡率が高いこともあって、平均寿命は現代の半分ほどだった。『一目でわかる江戸時代』(小学館)などの著作がある江戸東京博物館の市川寛明学芸員によると、壮年を迎えた人だと60歳ぐらいまで生きたという。それと比べても、北斎の長寿は驚異的だ。
市川学芸員は「江戸時代の人は驚異的な健脚だった」とも解説する。当時の娯楽の一つが、伊勢参りや富士山参拝、神社仏閣巡りなどの旅。長距離を歩き通せないと楽しめなかった。
北斎は、信州の小布施村(現在の長野県小布施町)を少なくとも4回訪ねている。地元の豪商・高井鴻山の招きで、現地に滞在している間も絵筆をとった。江戸から小布施村までは300キロ近くあり、山越えの道。80代で長旅を繰り返した北斎も、きっと驚異的な健脚だったに違いない。
世界中の人々を魅了する作品を残した画狂北斎。その生き方もまた魅力的で、現代に生きる私たちも学ぶことがありそうだ。(本誌・浅井秀樹)
※週刊朝日 2019年6月28日号