――イラン人のアスガー監督にはスペイン文化のどんな面を学んでもらいたかったですか?

「彼はスペイン語とスペインの文化を学ぶために、まずスペインに移り住んだ。5年という歳月をかけてスペインという国を体で吸収しようとした。スペイン文化を間違った形で映画にしたくなかったから。撮影中に疑問点もでた場合は私たちと話し合った。本作のテーマは家族、ひとつの痛みを家族全員が感じるというテーマをアスガーはとても美しい形で描いてくれたと思う。この映画の家族像を通して、私たち人間はなぜお互いに難題をふりかけあいながらながら生きているのか、について考えさせられると思うわ」

――ラウラは母国を離れ、付する里に戻て来た女性ですが、あなたも外国で過ごす時間が多い点で共感しますか?

「それはない。私は母国を離れたことも、家族から離れて暮らしたこともなく、幸運にもラウラの境遇に立ったことはないの。外国で仕事する機会は多いけれど、必ず往復チケットを持っている。アメリカにも数年住んだけれど、良い経験になったと思う。在住中は両親や妹も訪ねてきてくれた。現在はヨーロッパに住んでいていつも家族と一緒よ」

――19歳の時、ハリウッドでヌードシーンのある役をオファーされて断ったそうですね。

「その話はずっと秘密にしていたの。でも、MeToo#がらみで、セクハラの犠牲になったことはあるかという質問をよくされたので、打ち明ける気になった。セクハラ、パワハラは映画の業界に限ったことではない。その話は、米大型映画の役が決まりアメリカに行った時のこと。契約書を交わす段階で、契約書にヌードシーンがあると付け加えてあった。その場でちょと考えさせてくれと言ったわ。恥ずかしいわけではないけれど、その映画でヌードはやりたくないと決めたの。スタジオから男性4人と監督が来ていて、彼らに向かい私はこの契約書にはサインしない、と言った。するとひとまずスクリーンテストをしようと言い出した。私はスクリーンテストもしないし、契約書にサインもしないと言ったの。知っている人全員に電話したら、皆がスタジオ側のやっていることは尊厳に欠けていると言ってくれたわ。それで契約書にはサインせず、スペインに帰ってきた。あの映画に出演しなくて本当に良かったと思う。もし出演していたら、どんな風に扱われたかは想像がつく。自分の気持ちに従い自分の威厳を守るのは重要だわ。あの時、自分はヌードをやる自信もなかった。だから断ったのは正しかった。今でもあの時、飛行機の窓の外を見て感じた気持ち、正しいことをやった自分のことを誇りに思ているし絶対に忘れない」

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