浜口先生が作る歌が大好きで、レッスンも楽しかった。ご自宅に通って、発声の基礎から徹底的に教わりましたよ。プロ志向だった弟は「こんなチャンスはない」と意気込んでいましたが、ぼくは当時からプロになろうと決めていたわけではありませんでした。
進が作曲した「白いブランコ」でプロデビューしたのは1969年です。ビリー・バンバンが誕生したのはその3年前ぐらいです。
最初は4人だったんですが、ちょっとたってメンバーチェンジがあり、ぼくも入って3人になった。もうひとりのメンバーは、進の高校からの友人だった、あのせんだみつおです。
ビリー・バンバンはアマチュアバンドとしてけっこう人気があって、そのころから「白いブランコ」も歌っていたんです。
いよいよプロデビューとなったときに、浜口先生もレコード会社も「兄弟デュオでいこう」というところで意見が一致しちゃいまして、せんだは外さざるをえないことになったんです。
彼は小学校のときから、芸能界に入りたいと強く願っていました。ふたりでデビューしたいんだと伝えたときには、「ぼくもおいてくれ」と泣きながら懇願されました。そのときは申し訳ない気持ちでしたね。それでも、ぼくら兄弟がデビューしてしばらくのあいだ、せんだは運転手をやってくれたんです。
あるとき、ニッポン放送の偉い人が、和田アキ子さんの番組の相手役を探してた。「アッコが大きいから背の低いのがいいな」って言うから、せんだを紹介したんです。
それがやがて「金曜10時!うわさのチャンネル!!」の出演へとつながっていきました。
ザ・デストロイヤーと共演して、見事、売れっ子になるチャンスをつかんだあいつは、たいしたやつですよ。
――菅原さんはビリー・バンバンが人気バンドになってからも、実は歌手を続けるかどうか迷っていた。
浜口先生に音楽のすごさを教えていただき、だんだん迷いがなくなっていきました。いつだったか、こんなことまで言ってくれました。
「本当の意味での私の傑作は、君たち兄弟だ」