

もし、あのとき、別の選択をしていたなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」。今回は俳優・平泉成さんの登場です。柔和なまなざしと味わいある声で、よきお父さんから腹の読めない政治家までたくさんの役柄を演じてきました。俳優の道へと運命を決めたのは、あの市川雷蔵さんとの出会いだったそうです。特殊な才能は一切なかった、と来し方を謙虚に振り返りました。
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高校を卒業して、名古屋のホテルに就職したんです。まだオープン前でね、半年間はお皿の持ち方やフロントでの英会話などを勉強して、オープンしてから半年間はベルボーイとして働きました。でもね、半年の間に「もうちょっと別の道があるんじゃないか」と、モヤモヤした思いが湧き上がってきた。できれば俳優なんかをやってみたいなと。
そしたらたまたま寮で相部屋だった同僚が「役者になりたいんなら、市川雷蔵を知ってるから紹介してやるぞ」と言うんです。
――天下の雷蔵とホテルのベルボーイに接点が?と驚くが、いきさつはこうだ。
その人は、同志社大学の相撲部出身でした。雷蔵さんはチャンバラをやるのに足腰を鍛えなければと、相撲部に出入りしていた。きゃしゃな人ですけど、そうやって鍛錬していたんだと思います。
で、紹介されてお会いしたら「大映京都の“フレッシュフェイス”っていうのがあるから試験を受けるといいよ」とアドバイスされた。
映画会社が新人を養成する、いわゆるニューフェース。受けたら受かっちゃった。ホテルには引き留められましたけど、“若さはバカさ”なんでしょうね。
7人きょうだいの末っ子ですから、自由にできたんでしょうね。生まれは愛知県の山奥で、おやじは林業をやっていて、おふくろは助産婦。テレビもない時代ですから、1年に一度、村祭りに旅芸人の一座が来て、それを見るのが楽しみでした。そのうちそれが映画に変わって「すげえな」と思い、ただなんとなく憧れを抱いていたんです。