――19歳で大映京都に入社。数カ月後、通行人役などをやるようになる。そこで忘れられない出会いがあった。「座頭市」などで知られる三隅研次監督だ。
雷蔵さんが主役の作品でその横を歩く役があったんです。たしか大工の格好をしたエキストラだった。そのとき三隅監督に呼ばれたんです。「おまえさんは、いまから仕事に行くのか? 仕事が終わって帰るのか? どっちなんだ?」
「わかりません」と答えたんです。台本ももらっていませんでしたから。
待っているから台本を見てきなさい、と言われ、「朝でした」と答えました。
で、こんな指導を受けたのです。
「じゃあおまえたちはこれから仕事に行くところだ。よし、今日も一日、家造るぞ! そういう気持ちで主役の横を通りなさい」
同じ通行人でも一日が始まるときと仕事が終わって疲れて帰るときとでは違います。
主役の横を歩く人たちはそういう空気感を持って歩かないとダメだよ、と三隅先生は言うのです。
なんでそんなことが必要なんだろう、と最初は思いました。でも全員が「朝だ! さあ、一日始まるぞ!」と思えばそこに「朝の空気」ができる。
そのなかに主役の雷蔵さんがスッと入ってくる。その絵を撮るのが映画なんだ、と。心構えひとつで、日々勉強ができるんだぞ、と教えてくださった。
スタジオのセットで撮影が終わると常夜灯がセットの中につくんです。明日の撮影までの間、そのままになっている。昼間のうちに目標になる人の芝居をじーっと見て、セリフを覚えてね。夜になるとそのセットで「あの人はこうやって動いてたな」と同じようにまねしたんです。まあ練習のようなことをずいぶんと、それはやりましたねえ。
――この世界に入るきっかけとなった雷蔵さんも、何かにつけて目をかけ、可愛がってくれた。
当時、京都にも東京から俳優座、文学座、民藝などの劇団が来て、芝居をかけていたんです。劇団にとっては「こういう俳優が出ていますよ」と売り込むためでもあるので、撮影所のスタッフや監督たちが招かれていました。