数多くの名曲を手がけ、斬新な音楽性を高く評価されてきたジョニ・ミッチェル。今回は昨年の11月6日と7日、米ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオンで開催されたトリビュート・ライヴを収録した『JONI75~ジョニ・ミッチェル・バースデイ・セレブレーション』を紹介したい。
ジョニ・ミッチェルがロサンゼルスの自宅で脳動脈瘤により意識不明の状態で発見されたのは2015年3月31日。世界中に危篤を伝えるニュースが駆けめぐったが、幸いにして一命はとりとめ、自宅での静養後、翌年にはチック・コリアのライヴに顔を見せ、18年6月のジェイムス・テイラーのコンサートでの再会なども報じられてきた。
そんな彼女と縁のあるベテラン陣や彼女を敬愛し影響を受けてきたフォロワーたちが一堂に会し、75歳の誕生日を祝福した。
ジョニ・ミッチェルはロバータ・ジョーン・アンダーソンとして1943年、カナダ・アルバータ州フォート・マクラウド生まれで、サスカチュワン州サスカトゥーン育ち。ウクレレを手にしたことをきっかけに歌い、作曲も手がけ、64年にトロントに出てコーヒーハウスで活動を始めた[r1] 。
翌年、チャック・ミッチェルとの結婚を機に改姓。67年には離婚しニューヨークに進出。ジュディ・コリンズ、トム・ラッシュ、バフィー・セントメリーらに自作曲が取り上げられてソングライターとして注目を集め、デヴィッド・クロスビーに認められて、68年に『ジョニ・ミッチェル』でデビューした。
自身の体験、見聞をもとに、内省的で詩的な表現による歌詞、幼少期に小児マヒを患ったことをきっかけにあみだした独自の変則チューニングによるギター奏法やユニークな音楽性で注目を集めた。
恋多き人物であり、レナード・コーエン、グレアム・ナッシュ、ジェイムス・テイラーとの関係は初期作品の背景となり、名盤と語られる『ブルー』(71年)などを生んだ。