2019年1月16日18時23分。日本人冒険家の阿部雅龍(まさたつ)さん(36)が単独徒歩で南極点に到達した。雪と氷だけの世界の踏破を支えたのは、町工場の技術と情熱が詰まった“下町ソリ”だった。
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南極に行く──。そう気持ちを固めていた阿部雅龍(まさたつ)さんが、東京都板橋区にある町工場の技術者たちと出会ったのは15年秋のこと。技術者の一人で、「南極ソリプロジェクト」のまとめ役の鈴木敏文さん(68)は、そのときの様子をこう語る。
「講演会の打ち上げの席で、彼が『南極に行く。自分にあったソリがほしい』って言い始めてね」
実は板橋区は冒険家の植村直己さんとゆかりがあり、記念館がある。鈴木さんも何度も足を運び、犬ゾリを見てきた。
鈴木さんの会社「松本精機」は消防ポンプ部品の加工や、様々な試作品などの造形を行っている。1953年設立で社員は10人前後の小さな町工場だ。ソリ作りは初めてだが、技術者の知恵と技術を結集すれば何とかなるんじゃないかと思った。二人は意気投合し、プロジェクトが立ち上がった。
「軽くて、丈夫で、壊れない。まっすぐ進んで、すぐに曲がるやつ。重量は10キロ以下に」
これが、阿部さんから託された要望だった。
手探りのなか、最初に手がけたのは、阿部さんがグリーンランド遠征で使った外国製のソリの分析。ソリを引っ張る姿勢や、底面と氷が接触する部分(スキッド)の形状についての研究も同時に始めた。
鈴木さんにも本来の仕事がある。ソリ作りは終業後や休日に行った。
困ったのは雪や氷のない都内で、どこで実験するのか。深夜、高田馬場にあるスケートリンクを借り切り、試したこともあった。
「ベニヤ板の底に棒状の金属を取り付けたものをソリに見立てて、阿部さんに引っ張ってもらいました。重りとして支援者に上に乗ってもらってね」(鈴木さん)
やがて、新潟県長岡市の町工場の技術者も加わり、プロジェクトは加速する。