
日米で数々の大記録を打ち立てたシアトル・マリナーズのイチロー外野手(45)が3月21日、東京ドームでのアスレチックス戦後、都内で引退会見を行った。28年に及ぶ現役選手生活だった。日米で通算4367安打を打った、稀代の安打製造機も、日本での開幕2連戦ではノーヒット。それでも日本の観客は、イチローコールの大合唱で声援を送り続け、最後の勇姿を見届けた。イチローは試合後、場内を1周してファンから万雷の拍手を受けていた。イチローは会見で「最後にこのユニフォームを着て、この日をむかえられたことを嬉しく思います」と話した。
伝説の選手の引退に、元プロ野球選手たちからも労う声が送られた。
「ここまで壮大な引退試合がやれることに、彼の凄さを感じる。史上初でしょう。やってきた功績の偉大さでしょう」
と称えた。金村さんは現役時代にイチローから“痛い目”にあった話を明かす。
「僕が西武の時、神戸でオリックスとの試合で1塁を守っていました。イチローの打った球が1塁線に強烈に飛んできて、あまりの速さに避けきれず、足首に直撃してしまった。その結果、3塁打になってしまい、僕は痛みと恥ずかしさでいっぱいでしたね」
また、2006年の第1回ワールドベースボールクラシック前、神戸で自主トレをしているイチローの元を訪れた金村さんが、バッティングピッチャーをする機会があったという。
「真剣に全力で投げたけど、ほとんど会心(の当たり)で打ち返された。彼にバッティングの極意を聞くと、『胸のマークを最後までピッチャーに見せない』と言われ、実際投げてみて、それが本当でした。今度会うときは『お疲れ様』と伝えたい」
中日、オリックス、楽天で活躍した山崎武司さん(50)は、イチローと同じく愛工大名電高の出身。後輩との思い出を懐かしんだ。
「僕が中日で、イチローがオリックスの時一緒にオールスター(2000年)に出た時。僕は松坂大輔からタイムリーヒットを打ってMVPを獲得して、彼は優秀選手賞だった。二人で一緒にボードを持って、お立ち台に立ったのが一番の思い出。セ・リーグ、パ・リーグと違っていたし、高校の後輩とはいえ5学年下だったから、なかなか会う機会はなかったけど、たまに会うと『せんぱ~い』と声をかけて近づいてくれたことを思い出します」
山崎さん自身も44歳まで現役を続けた。
「僕は27年なので、イチローに1年、負けたかな」
と笑い、イチローにかける言葉について聞くと、
「野球であれだけ世界中を沸かした人間。次何するのか気になりますよね。メジャーで指導者をするのか、日本でするのか、遊ぶのか。『イチローの第2章は何するの?』って聞いてみたい」
多くの人が野球選手としてのイチローを見てきて、野球選手ではないイチローの姿を知らない。これからどんなイチローとして活動するのか。我々には寂しくもあり、楽しみでもある。
(本誌・大塚淳史)
※週刊朝日オンライン限定記事