「農作業やボランティアなどで穏やかな生活を送るはずだったのに、今や裁判中心の生活になってしまった」
関西に住む70代男性はそう嘆く。数年前に亡くなった父の公正証書遺言の効力を巡り、「遺言は無効」として弟を提訴した。証拠書類集めのため、役所を訪れたり、病院で父の診断書をもらったりする日々。訴えは一審、二審ともに退けられたが、今も納得していない。
30年以上にわたり、両親と2世帯同居してきた男性。母は10年ほど前から介護が必要な状態になり、その後に父も認知症の症状が表れた。男性の妻が介護疲れから体調を崩したこともあり、父は弟が自宅で介護することになった。
ホッとしたのもつかの間、思わぬ事態が訪れた。
約1年後、父にがんが見つかり、余命わずかとの宣告。その直後に公正証書遺言が作られていた。弟側の弁護士の協力のもとで考えられた文案のようで、公証人と弁護士が自宅へ出張して作成。その半年後に、父が亡くなった。土地の多くを弟に相続させ、弟の子(父からみた孫)にも土地を遺贈するとの遺言を残して。
父の葬儀後、弁護士から届いた公正証書遺言に、男性は驚いた。「まさか、こんなものが作られていたなんて」。作成過程や内容に納得がいかず、裁判に踏み切った。「父の本意の内容でなく、弟と弟の子らが介在して作られた」「父は認知症で遺言能力はなかった」。男性はこう主張するが、弟側は「内容は不自然でなく、作成過程も問題ない」「遺言能力はあった」との立場。すれ違いが続く。
本人が何度も書き直せる自筆証書遺言と違い、公証人も関与する公正証書遺言は一度作られると信頼性が高い。「それが悪用された」と男性は悔しい思いだ。
「在宅介護中に密室で作られた公正証書遺言が、財産を奪う手段に使われた。遺言がなければ、遺族間で普通に話し合って決められたのに……。骨肉の争いと思われるのが嫌で多くの人は口にしないが、公正証書遺言で困っている人は周囲にもいる。この制度は果たして、故人の思いに沿う相続にプラスなのだろうか」