もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は、歌手で俳優の杉良太郎さんです。「遠山の金さん」などを演じた大スターですが、「杉さま」ともてはやされたイメージは虚像だと言います。地道な福祉活動は芸能界に入る前から。虚像に隠された実像に迫ります。
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初めて刑務所を慰問したのは15歳のときです。近所の歌謡学院の先生に、「今度、慰問に行かないか」と誘われたのがきっかけです。その方は盲目でした。「自分だって目が見えないのは大変だろうに、この人はえらいな」と純粋に思ったのです。
でも、何百人という罪を犯した人たちの前に立つのは怖かった。刑務所の所長でも受刑者の前に立つときは緊張するそうです。怒ってもいけないし、高圧的な態度をとってもいけないし、説教くさく聞こえてもいけない。私は一生懸命歌おう、その思いだけでした。足はガタガタ震え、先生のアコーディオンの音にのせて歌ったものの、ステージで何を歌ったかは覚えていません。でも、まだ子どもの歌声に、受刑者が涙を流していた光景は今でも覚えています。
それから60年近く。私は福祉を通じて芸能界では学べないことを学んだと思っています。
真実の涙、心からの笑顔、拍手……音が違うんですね。人間にこんな拍手ができるのか、と。いくらお金を積んでも、真実の拍手を聞くことはできません。それを私は何度も味わわせてもらいました。
私は芸能界に入ったとき、コネもなく、師匠や先生もいませんでした。人間として、役者として、人生で大事なことを教えてくれたのが福祉活動だったのかもしれません。
――杉は終戦前の1944年8月、神戸市で生まれた。幼いころから歌が好きで、のど自慢大会で鳴らしていた。18歳で、「ヒットすればお金が稼げる」と歌手を目指して上京。3畳のアパートを借り、知人のカレー屋で無給で働き、3食カレーを食べて2年間過ごした。自ら選択して、苦労を買って出たのだという。