こっちも大喜びで、こういう毎日だったって話しました。私にとっては楽しくて、いい思い出です。でも若い人は「そうですか。さぞ、わずらわしかったでしょうね」って。もうガッカリですよ。おいおい、何を聞いてたんだってね。今は通じないのかなあ。寂しい話ですよ。

――舞台やテレビの端役をしながら、付き人を3年10カ月務めた。植木のことは、人生の師と仰ぐ。

「知らない、知らない」や淀川長治さんの物まねがウケて、シャボン玉でもいろんな役をやらせてもらって、顔が売れていたみたいです。駅で植木等のカバンを持って立ってたら、女の子たちが「キャー!」って寄ってくる。オヤジさんにかと思ったら、私にサインを求めるんですね。

「してやれよ」ってオヤジさんに促されて、晴れがましいような恥ずかしいような気持ちでサインしました。女の子たちがいなくなったあとで「お前も本物になったな」って言ってくれてね。こんなこと言ってくれる人はいませんよ。

 ある日、クルマを運転中に後部座席の植木から、「おい、松崎。お前、明日からウチに迎えに来なくていいから」と言われた。クビかと思ってビックリしますよね。

 知らないうちにオヤジさんは、渡辺プロダクションと話し合って、タレントとして私と契約をする段取りを取っていてくれてたんです。ハンドルを握り締めて泣きました。しばらく動けないでいたら、オヤジさんに「まあ、急ぐわけじゃないけど、そろそろ行こうか」って言われてね。

 私が一応売れっ子と言われるようになったころ、オヤジさんはあまり忙しくはなかった。どんな大スターでも、あの植木等でさえも、入れ替えの時期は来てしまう。

 そんなときでも「いよー、よく来たな」って、あの調子で歓迎してくれてね。「俺、仕事ヒマだからテレビばっかり見てるんだけど、お前が頑張ってるのを見ると、俺ももうひと花咲かさなきゃって思うんだよな」と言ってくれました。そのときはトイレに入って泣きましたね。

 オヤジさんのところに行くとき、こっちは弟子ですから、運転手付きのクルマで玄関まで乗りつけるわけにはいかない。門からちょっと離れたところで待ってろって言って、ひとりで来たような顔で訪ねる。「飲んでくか」「いや、今日はクルマなんで」「うそつけ。運転手がいるくせに」って、お盆にコーヒーとお菓子を載せて、自分で運転手のところに持っていくんです。「小松が世話になるな」って言って。ああ、自分はずっと植木等の庇護の下に生きてるんだなあって思いました。

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