――サラリーマンの経験は後に、芸につながった。
あるとき、課長に僕が叱られていたら、ブルドッグ部長が「声が大きい」と課長を注意したんです。すると課長は「お前のせいで怒られちゃったじゃないか、知らない、知らない」って急にオネエっぽいトーンになって。そう、私のギャグの「知らない、知らない」は、その人がモデルなんです。「シャボン玉」に端役で出してもらうきっかけにもなりました。
――植木との出会いに話を戻そう。当時の小松は22歳。セールスマン時代は月10万円以上あった収入が、付き人になると7千円になった。それでも、人生におけるかけがえのない日々だったと振り返る。
植木のオヤジと出会っていなかったら、松崎雅臣(本名)は小松政夫になっていないし、小松政夫じゃないもう一つの人生っていうのは、松崎雅臣であって小松政夫じゃないし……。あれ、なんだかよくわかんなくなってきちゃった。
お金のことはぜんぜん気になりませんでした。当時のクレージーキャッツの人気はすさまじくて、寝る時間もほとんどなかったけど、とにかく憧れの植木等さんの側に毎日いられるんですから、こんな幸せなことはありません。
セールスマンのときは販売台数というノルマに追われていたけど、オヤジさんに一日に一回、「おお、ありがとうな」「おお、気が利くな」と喜んでもらうことが、自分のノルマだと思っていました。とにかく、少しでも長くいっしょにいて、オヤジさんから吸収したいって必死でしたね。
ある舞台で、植木等がはいている大きなスカートの中に隠れて、ちょこまか動き回るコントがありました。オヤジさんが高げたをはいていて、動くたびに私の足を踏むんです。痛いの痛くないの。だから、私の足の親指の爪は、大きく変形しているんです。
舞台の上で生爪がはがれて、そのままにしておけないから、出番が終わってからモップを持ってふらふら出ていく。「何しに来たんだお前」「いや、きれいにしようかなって思って」って、そこでまたひと笑い。
何十年もたってから、そのことを知ったオヤジさんは「そうだったのか」って申し訳なさそうにしてました。でも、こっちにとっては、足は痛かったけど笑いが取れて、ありがたい話ですよ。
2017年に、NHKで私が書いた自伝的小説を原作にした「植木等とのぼせもん」っていうドラマが放送されました。そのせいもあるのかな。若い人が当時の芸能界の話に興味を持って、話を聞かせてくれって来たことがあるんです。