バブル世代といっても、時代の受容の仕方はジェンダーで違いが出る。また一般に「バブル世代」とは、80年代後半に20代前半だった人を言うが、80年代に若手だった世代の男性の「バブル観」に、私は最近、強い違和感を覚える。例えば何かを取り戻すようにオリンピックや万博に夢中になっているのは、バブルを知る世代の男性たちが中心だ。「お祭り」を開催し、「日本の偉大さ」をアピールし、「自信」を回復したいという「下心」。取り戻すべき過去が「バブル」っぽいのだ。男性にとってのバブルは「世界一金持ちの日本を生きる俺様」の「自信」を深める栄光の過去であり続けているのかもしれない。
一方。女にとってのバブルは、新しい世界への切符であると同時に、過去の「女という生き方」からの解放だった。だからこそ、バブル女は妹世代に「自信を持って頑張りな」とつい言ってしまうのかもしれない。だけど、もちろんバブル女はわかっている。結局、全て嘘だった、と。バブルがはじければ、女はより貧困に陥り、そして私たちは、思ったほど出世しなかった。
そんな私たちにとって(いつの間にか私もバブル側)、バブルは「取り戻す」ものではない。自信は「回復」するものではない。本当の解放と、そのことで新しい自信を得たい。そう。バブル女を許してくれ! 迷惑もかけるけど、これからは、女の働く道を一緒につくっていこうよ!
※週刊朝日 2018年12月14日号