東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
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オリックスから1位指名された天理の太田(右) (c)朝日新聞社
オリックスから1位指名された天理の太田(右) (c)朝日新聞社

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、自身が引いたくじで松坂大輔投手の交渉権を得た思い出を振り返り、今年のドラフト1位指名について解説する。

【オリックスから1位指名された天理の太田椋】

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 10月25日に行われたドラフト会議。各球団の近未来の構想や補強ポイントが、指名の傾向から見える。ファンの方のみならず、私も毎年のようにワクワクする。

 当たり、外れの命運、普段見せない監督の喜ぶ姿、ガッカリする姿を見ると、自分が西武の監督の時のことを思い出す。1998年11月20日のドラフト会議。横浜高校の松坂大輔を指名することを決めていたし、多くて5~6球団は指名してくるかなと思っていた。緊張はしなかったが、堤義明オーナーから「きれいな体で行けよ」と言われていた。ツメを切って、厳粛な気持ちで会場へ。競合したのは、その年の最後までパ・リーグの覇権を争った日本ハム、そして日本シリーズを戦った横浜(現DeNA)だった。ペナントレースでは日本ハムを最後にとらえて逆転優勝。日本シリーズでは、横浜に敗れたため、くじを引くのは日本ハム、西武、横浜の順だった。まず日本ハムの上田利治監督がかき回すような形で封筒を手に取った。私は箱の中の封筒のうち、事前に決めていた右側の封筒を取った。はやる気持ちを抑えながら紙を取り出す。「交渉権確定」の文字が目に飛び込み、思わず紙を高く掲げていた。日本シリーズで負けたから、横浜よりも先にくじが引けた。しばらくたって、横浜の権藤博監督(当時)に「日本一と大輔、どっちが良かったですか」と聞いたことを、懐かしく思う。

 今回のドラフト1位を見ると、高校生の遊撃手が3人指名された。4球団の競合となった大阪桐蔭の根尾昂、報徳学園の小園海斗、そして外れ1位の天理太田椋。それぞれ、中日、広島、オリックスが交渉権を獲得したけど、大型遊撃手というのは、いつの時代も人材難。逸材がいれば、何を置いても取りにいくべきだよね。

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