地下水からは標準の79倍のベンゼンなどが発見され、都民に不安を与えたが、舛添氏は当時の小池氏の対応をこう批判する。
「完全なる『安全』を追い求めていても莫大なお金がかかるだけです。費用をかけるにも限度がある。メンテナンスしながら対応していけばいいことです。豊洲を選挙に利用したくて騒ぐだけ騒いだのではないかと思えてしまいます」
確かに豊洲移転にストップをかけ、翌17年7月2日の都議会議員選では、小池知事を代表とする都民ファーストの会が圧勝した。
その後も、日本の台所と言われた築地ブランドを守り、移転するのかしないのか、揺れ動いた。
「彼女は『築地を守る。豊洲を活かす』と発言したけど、豊洲に行きたい業者にも、築地に残りたい業者にも、どちらにもいい顔をしたんです。それもこれも選挙のためですよ。移転に反対する築地のおかみさんたちは、自分たちを守ってくれるのか、と思ったら、そうではなくがっかりしたことでしょう。築地を『食のテーマパークにする』と言っていたのに、だんだんトーンダウンして、ついには口にしなくなった」(舛添氏)
豊洲市場の敷地に造る予定のレストランや温泉などの観光施設「千客万来施設」は、このたびの移転延期の影響で、開業が延び延びになり、2023年ごろのオープンとなっている。
「一般の人は、市場のマグロの競りは一回観ればいいわけで、毎日観に行かないでしょう。やはり人が集まる『千客万来施設』は必要。都政というのは一つが遅れるとドミノ倒しで遅れてしまうものです」
2020年7月開催予定の東京五輪にも大きな支障をきたしていると、舛添氏は指摘する。
「豊洲から晴海の選手村を通って、築地へと抜ける予定の環状2号線も全面開通できそうにない。すいていれば晴海にできる予定の選手村から築地までものの5分で到着できる道路です。駐車場の問題を含め、もっとも困った問題です」
舛添氏が小池氏と知り合ったのは、1970年代後半のテレビ局。