「俺、ずっと相撲が強くてごっつあんですってやってきたでしょう。本を読むのも嫌いだが、数字の計算はもっと嫌なんだよ。ごっつあんですで通じて、それでやってきたのが気が付けば、自分の借金にされちゃったんだよ。引退したばかりのときは、また懸賞金ががっぽり入るって感じでやってたからな。現役時代は懸賞金が担保だって、一晩で500万円とか散財していたよ。そこで、払うために金を借りた。年寄株を担保にって言われて、いれたんだ。最初、担保って言葉もよく知らなかった。後で聞いて、ちょっとまずいなと思っていたんだよ。それが、本当にまずくなっちゃった。高い授業料だったよ。わはは」

 だが、そこは天下の横綱、全国各地に後援者がいた。輪島さんの有力後援者だった会社社長によると、輪島さんの引退相撲の時だった。髷に多くの人がハサミを入れて、最後は大銀杏を切り落とす、断髪式。

「各界の有名人が土俵にあがってゆく。すると急にざわつきはじめた。怖そうな若い衆が続々とまわりを囲み、なんだろうと思った。土俵にあがっていたのは、任侠の世界で有名な親分。各界で立場ある人がくる中でいくら時代が違うとはいえ、よく親分を断髪式に呼んだよな。輪島さんの人柄だから、みんないいじゃないって大目にみていた感じでしたね」

 輪島さんは日本大学時代、田中英寿・日大理事長の1つ後輩だった。

次のページ