■画期的ながん免疫療法の新薬
――医学部に入られた理由は。
いくつか重なっていて、まず、人に使われなくて済むこと。子どもの頃に、野口英世の伝記を読んで、医師として研究者として、非常にたくさんの人の役に立ちたいと思いました。父が医者(山口大学耳鼻咽喉科学教授)だったこともあります。
臨床でなく研究者を目指すと決めたのは、1960年に京都大学医学部に入ってからです。当時、遺伝暗号の解読という新しい生命科学の流れが出てきたところで、関連した講演会なども多く、同級生6~7人で輪読して勉強すると本当に面白い。柴谷篤弘先生の『生物学の革命』で分子生物学が予見する医学の将来像にも影響を受けました。遺伝子の暗号であるDNAがあって、蛋白質ができてきます。この暗号を解読できれば、根源的な生命の真理に迫れるのではないか、これで生物学もようやく一人前の自然科学になるだろうと感じました。
――研究テーマに抗体研究を選ばれたのは。
1971年に米国カーネギー研究所に留学し、そこで分子生物学的手法を学び、当初は遺伝子の転写の研究をしていました。そこで、免疫の抗体の多様性という現象に関心を抱き、それを手掛けていたNIHのレーダー教授の下に移りました。たまたま面白いと感じた現象が免疫反応だっただけで、免疫学者の正統ではありません。
免疫反応で産生される免疫グロブリンの定常領域が、抗原などの刺激によって可変領域を変えずにIgMからIgGやIgEなどへと変換するという「クラススイッチ」の基本的なメカニズムは、帰国後の78年に発表しました。以後も抗体遺伝子の遺伝子再構成モデルの証明に取り組み、2000年にクラススイッチを起こす遺伝子を発見し、AID(activation-induced cytidine deaminase;活性化誘導型シチジンデアミナーゼ)と名付けました。私の名前の佑にも因んでいます。
それから16年経ちますが、今もそのメカニズムを研究しています。私は、AIDはRNA編集酵素だろうと考えていますが、まだそれが通説となってはいません。実際にRNA編集がないと証明できない現象がたくさん見つかっており、かなり良い証拠を積み重ねてきているので、あと5~6年で決着を付けて、「それで間違いない」と言わせたいと思っています。