作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は救急外来で訪れた大学病院で独特の「医者文化」を感じたという。
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少し前のこと、明け方に喘息発作をおこして、近所の大学病院の救急に行った。行く前に電話をすると事務の人に「先生がいらっしゃれるかどうか確認します」と言われた。毎度のことながら、病院関係者の医師への敬語には戸惑う。外の人にも堂々敬語を使う病院内論理に、うっすらと感じる抵抗。とはいえ弱っている私に考える余裕はなく「先生が診てくださると仰っています」と言われると心から「ありがたや~」という気持ちになり、いそいそと病院へ向かったのだった。
朝6時の救急は、私の知らない世界だった。待合室には既に車椅子でぐったりしていたりする高齢者が5、6人いて異様な光景だった。頭から血を出している人、腰をさすられている人など怪我人が多く、付き添いの50代くらいの息子に「なんで、物を持って螺旋階段を下りたんだよ!」と怒られ「ごめんね」とうなだれている高齢のお母さんを、ぜいぜい音がする息を吐きながら見ていた。寝起きにつまずいたりする高齢者が多いのだろうか。その中を看護師たちがてきぱきと動いている。私の血圧・体温を測ってくれたのは若い女性看護師で、「もうすぐ先生がいらっしゃいます」と声を掛け続けてくれた。お医者様……それは救世主……そんな気持ちで20分ベンチで横たわった後にやってきたのは、病人の目からもわかる激しい緊張を隠さない、男性の研修医だった。
嫌な予感は的中だった。彼は採血と点滴の針を刺すのに5分かかり、3度失敗した。救世主感はなく、青ざめた顔で「ごめんなさい」と謝る様子からは、針を刺される私よりも怖がっているのがわかった。隣で「そこ、そこ、そうそう!」と指導するベテランの看護師さんに「た・す・け・て」と目配せしたが、無意味だった。それでもボーッとする頭で考えた。医者に謝られるのは初めてだな、医者は絶対謝らないもんな、この男の子もいつか、謝らなくなるんだろうな。