それで、大学に戻って講義を聴いているうちに、ふと気づいたんです。私は縫うのは下手だけど、デザイナーとかスタイリストとか、ファッションの世界にはいろんな道があるんだって。

――演劇の道。政治の世界。さまざまな分かれ道があったが、次第に一本の道に収斂していく。大学の後半には文化服装学院の夜学にも通い、洋裁の基礎を学ぶ。卒業後は、パリに1年間留学。その後、乗り出したのはブライダルの世界だった。

 1960年、ローマオリンピックの年に、日本のファッション界としては初めて、15人の視察団を組んでヨーロッパに渡りました。ローマから各地を巡って、最後はパリ。私はそこに残って、1年間、立体裁断を徹底的に学びました。

 帰国後、その技術を学校の生徒たちに伝授するんですけど、当時の洋裁学校は花嫁修業の場。母の後を継いでも、これで終わるのかな……って歯がゆい思いをしていました。

 日本ではまだ誰もやっていない婚礼衣装をやろうと思ったんです。ファッションのなかで一番、演劇性を持っている。結婚式っていうのは一生に一度の、プライベートのイベントですからね。ファッションの中で最も、私が培った演劇的要素が生かせるジャンルなんですよ。

 そのころの結婚式はまだまだ和装が中心。ドレスで挙式する人は、全体の3%ほどしかいませんでした。ビジネスとしては厳しい。でも、そのとき、「自分であきらめるのはよしなさい。少しでも上を目指してみなさい」という鳩山先生の言葉が私の背中を押してくれました。

――桂由美ブライダルサロン、という小さな店を開いたのが1964年。人生を決定づけたのは、世界的なデザイナー、ピエール・バルマンとの出会いだった。

 オープンから3年後ぐらいだったでしょうか。京都の貸衣装店から、デザインを依頼されたんです。私ともう一人、デザイナーとして起用されたのが、なんとピエール・バルマンだったんです。それを聞いて、一も二もなくお受けしました。皇族の方のイブニングドレスをデザインしたほどの世界的デザイナーです。

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