結局、政治家の道には進みませんでしたが、当時、鳩山一郎先生が私におっしゃった一言は、今も指針になっています。「人間は、無限に伸びる可能性を持っている。だからこの先どんな道に進んでも、もうこれまでだ、と自分であきらめるのはよしなさい。少しでも上を目指してみなさい。必ず伸びますから」って。

 母の洋裁学校を継がなければならないという私の家庭事情は理解してくださっていました。若者への最大限のエールだったんですね。

――政治家ではない、もう一つの自分史は、演劇の道。文学座付属演劇研究所第1期生に応募し、合格者60人の一人となる。政治の道に誘われる前は、一日の半分を大学で過ごし、もう半分は稽古場で過ごしていた。

 私には子供のころから、演劇界に進みたいという夢がありました。俳優になろうなどと思ったことは一度もなくて、舞台が作りたかった。石井ふく子さんのようなプロデューサーになりたかったんです。

 大学1年のとき、一度は文学座の研究生にもなりましたが、やっぱり1年間、文学座にいて感じたのは、共立では井の中の蛙だったんだと。みんなからちやほやされて、天才だ、なんていわれて……。

 文学座ともなると、その程度の才能の持ち主なんて、掃いて捨てるほどいるわけですよ。そういう人たちに演劇論をふっかけてもコテンパンにやられてしまう。学校演劇をやってる分にはよかったんでしょうけど、この世界に入ってみたら、とんでもない人がいっぱいいるんだなと。限界を悟りました。

 グループリーダーの芥川比呂志さんに、母が直接相談したんです。作家の芥川龍之介さんのご長男です。母は、私に洋裁学校を継がせたがっていること、私が大学生活と両立していることなどをお話ししたら、芥川さんは「これからの時代、大切なのはインテリジェンス(知性)だ。大学でしっかり、知性を磨いていらっしゃい」。敬愛する芥川さんの言葉ですから、素直に受け止めました。

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