苫米地氏は、重罪を免れ、社会復帰した一部の幹部らは今も確信犯とみている。

「元幹部らオウム信者の多くは麻原を否定しても、ヴァジラヤーナを全く否定していない。やはり、オウムに対し、破壊活動防止法で組織を壊滅させるべきだったと思います」(苫米地氏)

 実行犯・高橋克也被告の裁判で、林泰男死刑囚や林郁夫受刑者はかつての尊師を罵った。

「本当に洗脳が解けているかは極めて怪しい。薬物を使った洗脳は簡単に解けるものではない。ずっと刑務所にいて自然に解けたなんてあり得ません」(同)

 苫米地氏は、十数人の元信者の脱洗脳に成功したが、当時の苦労をこう話す。

「隔離して専門的な技術を使って脱洗脳を行い、やっと解けたのです。その中の一人の正悟師のMは、現在刑期を全うし、OLとして社会復帰をしています」

 麻原死刑囚がいた東京拘置所(葛飾区)の周辺は、「麻原のエネルギーが強い」という理由から、信者の間では“聖地”とされている。ぶつぶつと何かを唱えながら巡礼する信者が近所の人の間で、たびたび見かけられている。

「麻原の死刑が執行され、神になるだけ。オウムの闇は今も解明されていないことが多いのです」(同)

 だが、未解決事件を掘り起こしてほしくない人がいるようだと、苫米地氏は指摘する。

「國松(孝次元警察庁)長官狙撃事件も、K(元巡査長)が証言をしても、証拠が次々と消されて隠滅されてしまった。サティアンがあった旧上九一色村に、核廃棄物がいまだに埋められているという話も、当局は調査しようとさえしなかった。麻原ら13人の死刑が執行されて、問題がなかったことのように、闇に葬られようとしています」(同)

■「車内にシンナーのようなにおいが漂い、『毒ガスだ、逃げろ』と」 被害者が語った忘れられない記憶

《地下鉄日比谷線北千住発中目黒行きの午前7時46分発の電車に、実行役の林泰男死刑囚は、杉本繁郎受刑者の運転する車で上野駅から乗り込み、秋葉原駅でサリン液の入った三つのポリ袋を傘の先でついた。その結果、電車は築地駅で緊急停止。死者8人、重軽傷者約2500人を出し、日比谷線のこの電車はサリンがばらまかれた丸ノ内線、千代田線などの5本の電車の中で最大の被害が出た。当時、会社員だった石橋毅さんは、埼玉県越谷市で暮らし、朝の出勤途中、電車に乗り合わせることになった。》

 1995年3月20日は普段と何ら変わらない、晴れ渡った朝でした。日比谷線神谷町駅の近くにある会社のビルのメンテナンスに出勤するため、午前7時くらいに自宅を出て、越谷駅から東武伊勢崎線に乗り、日比谷線の北千住駅で席に座り、車内ではスポーツ紙で好きなプロ野球の記事を読みながらウトウトしていました。

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