事件後、疲れやすく、膝に力が入らないなどの症状があり、誰かにつけられているという妄想にとりつかれた。精神科に入院したりもしました。

 3~4年勤めていたメンテナンス会社は、事件の半年後に辞め、地元の新潟県に戻ってきました。サリン事件後、5回転職し、結婚もしたけれど、5年で離婚。離婚してからプライベートでは何一つ楽しいことがない日々が続いた。

 2008年12月、政府はオウム真理教による八つの事件の被害者に対し、給付金を支払いました。

 そのとき、私は特に申請もしなかったのですが、一時金100万円を給付されました。

 その際に、警察の方が尋ねてこられ、新潟にもそういう被害者が十数人いるということを聞きました。

 今は新潟県長岡市の地元の会社に勤めて14年ほどになります。心の病や引きこもりの人たちがタレントとして活動する地元のグループ「K-BOX」に参加し、地下鉄サリン事件を題材にした詩を作って朗読したり、ピアノの弾き語りをするようになり、心の安定が得られるようになりました。

■医師が明かす「手探りだったサリンの解毒」

 地下鉄サリン事件では、約700人の患者さんが東京・築地の聖路加国際病院に殺到しました。それ以外の患者さんが都内の大病院にそれぞれ30~40人くらい搬送されました。私は34人の患者さんを診ました。今度は公的機関から「爆発ではなくて、どうやら青酸ガスによるシアン中毒のようだ」という情報が入り、やがてそれが誤りで、サリン中毒だったという情報に変わりました。

 救急車で患者さんが運ばれてきて、一番の症状は目の異常でした。サリンの影響で瞳孔が小さくなってしまい、光が入らなくて、まわりを暗いと感じる患者さんが多かったんです。息苦しいと呼吸の異常を訴える人や言語障害などの症状が出た人もいました。地下鉄サリン事件で、オウムが教団内部で実行犯たちの解毒剤として使っていた硫酸アトロピンやパムは、うちの病院に大量に保管してありました。特にパムは特殊な薬で、普通の病院にはあまりなかったので、東京都の他の病院にお分けしました。病院に搬送された方には、シャワーを浴びて浴室で着替えをしていただいてから入院していただきました。うちでは除染をやったおかげで、病院スタッフに誰も被害を出さずに診療ができました。体や衣服についたサリンが洗い流されたんですよね。

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