中川も獄中で短歌を作っている。彼とも何度か会い、同年3月4日にも接見してきました。彼のお母さんとはよく連絡をとりあうんですが、彼のお父さんは病気らしく、お母さんはちょっと面会に来れないんだよということを伝えてあげました。彼はうなずいていました。
林泰男は私が接見したときは何もしゃべらなかったんですが、公判ではよくしゃべります。彼は古参の信者だったから、母親もいい年なんですよ。私どもの会合など、いろんな会合に顔を出しておられたのですが、健康状態がすぐれないようで、最近はあまりお見かけしなくなりました。
端本君と接見したときには、拘置所の中でうちひしがれている感じでしたね。死にたいみたいなことを言うので、「そういうことはまかりならん」と、言っておきました。
私は95年1月、自宅の近くの郵便ポストに行く途中、オウム信者にVXをジャンパーの襟にかけられ、意識不明になって、病院のICUに運ばれました。今も体にしびれが残ります。けれども、私は彼らの死刑には反対しています。彼らは麻原の操り人形だった。償うことのできない大罪を犯したが、宗教法人としての認証を与えるべきではなかったんです。私はそれに反対する行動を起こしていました。先日、久しぶりにオウムのサティアンがあった旧上九一色村へ行きました。サティアンがあった場所は野っ原で牧歌的な場所になって、慰霊碑が立ち、そこでお祈りしてきました。涙が流れました。宗教法人としての認証を与えないように、あのときちょっとでも行政が聞く耳を持ってくれたならば、という気持ちも込み上げてきました。
■「教祖を法廷で罵っても悪の教義は今も信じている信者」 脱洗脳カウンセラー
尊師の「ポア(殺せ)」という指示で凶悪なテロをためらいもなく実行した実行犯たち。事件直後から、オウム信者の脱洗脳を手掛けてきた脳機能学者・苫米地英人氏がその動機を語る。
「サリン事件は、オウムにとって“ヴァジラヤーナ”という教義に基づき、教えを実践したまでのこと。麻原は最終解脱者で、他人の魂を解脱させて転生することができ、人々はカルマ(悪業)を積んでいるから、苦しめば苦しむほど、より良い転生ができる。つまり、サリンをまいて苦しめて殺すことが、人のためという危険な教義だったのです」