血のりのついた「黒ぶちメガネ」と刃物が切り裂いた「茶色い革のバッグ」は、27年たった今も、犯行の痛ましさを生々しく物語っていた。
「悪魔の詩」殺人事件が起きたのは1991年7月11日。イスラム学者で、筑波大学比較文化学類助教授の五十嵐一さん(当時44)が、キャンパスのA棟7階のエレベーターホール前で、何者かに惨殺された。
翌早朝、掃除の女性に発見された時には、五十嵐氏の首は切断寸前まで深くかき切られ、刃物による複数の切り傷のある状態だった。
事件前年、五十嵐氏は世界的ベストセラー小説「悪魔の詩」(サルマン・ラシュディ著)を翻訳。この本は当時、イランの最高指導者・ホメイニ師が同書を「イスラムを冒とくしている」とし、著書らに対して処刑宣言を出した。280万ドルともされる懸賞金がかけられたとも噂され、イタリア、ノルウェー、トルコなど各地で、翻訳関係者らに対する襲撃事件が起きた。
それだけに、五十嵐さんの殺害は国際的に取り上げられたが、肝心の捜査は進まず、迷宮入り。2006年7月、公訴時効を迎えた。
事件から27年たった今年7月9日、東京都千代田区の日本プレスセンタービルで「偲ぶ会」が開かれ、教え子や友人ら約80人が集まった。妻の五十嵐雅子さんは本誌に心境をこう語った。
「主人を亡くした喪失感というのはずっと今も続いています。みなさま方から励まされたことが、生きていく原動力になりました。学校へ通う子供達を育てなくてはという気持になりました」
事件のあった当時、五十嵐一家は雅子夫人の両親、夫妻、中学3年生の長女、小学6年生の長男の計6人が一緒に暮らしていた。
「長女は結婚しました。長男の中(あたる)は東大に勤務しています。子供の頃は私と似ていましたが、大人になって、メガネをかけ、雰囲気がだんだん夫に似てきた。そう言うと本人は嫌がるのですが」(雅子夫人)
長男の中氏は、東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学教室の特任准教授として、教壇に立つ日々を送っている。薬の価値をお金と効き目の双方から評価する「薬剤経済学」の研究者だ。メガネについてはこんな記憶が蘇る。