「先生の最後の授業は事件当日、研究室で行われた古典ギリシャ語になりました。私は他の学生2人とで受講しました。先生のスケジュール帳にあったというのは、正午からギリシャ語の授業があるという意味。GKというのはGREEK(ギリシャ語)の略だと思います。最後の授業に何も変わったことはなく、翌週までに仕上げる宿題が出て、『ではまた来週』と交わした言葉が最後の会話になりました」

 伊藤さんはショッキングな事件を翌朝のニュースで知った。

「驚いてキャンパスを走っていったが、建物の周りにはロープが張られていて中に入れなかった。私の記憶する限り、最後の授業の後で先生に会った学生たちにも当日、誰かと会うということは言い残していないんですよね」(伊藤さん)

 現場には犯人のものと思われるO型の血液と27.5センチの足跡が残されていた。いくつかの謎も残っている。

「殺害現場がなぜ、先生の研究室を出た7階のエレベーターホール前だったのか。降りるのにも時間がかかる。駐車場や1階だったらもっと逃げやすかったはず。果たして、単独犯だったのか。見張り役がいた可能性はある」(元筑波大の学生)

 五十嵐氏は身に迫る危険も感じていたという。

「先生は『狙われている』と話していたそうです。先生なりに覚悟はしていたのではないでしょうか。事件後、警察の警護の申し出も断っていたと聴きました。学問の場に警察を入れたくなかったんだと思います。『生涯一学徒』というのが口癖で、学者として純粋だった」(前出・教え子の伊藤さん)

 伊藤さんらは今年の「偲ぶ会」の開催に合わせて、五十嵐氏が卒業した新潟県立新潟高校時代の同級生や友人、教え子たちの証言を集めた「五十嵐一追悼集ー未来ヘの知の連鎖に向けて」を編纂したという。
事件がなければ、あの夏、五十嵐氏は西洋精神の起源を辿る「ドナウ川のさか波」という大著を一気に書き上げる計画だったという。雅子夫人は犯人像についてこう言った。

「犯人は逃亡して、国外で生活しているのでは……」

 公訴時効は成立したが、犯人が国外逃亡していた場合、捕まれば刑が適用される。(本誌 上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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