




優しかった、面白かった、頼もしかった……、人それぞれ、父親に対する思いを抱えている。どれも自分をつくってくれた大切な思い、でも、面と向かって直接伝えるのは難しい。週刊朝日では、「父の日」を前に、8人の方に今だから話せる亡き父への思いを語ってもらった。その中から、息子の藤村亜実さんが語った父・藤村俊二さんのエピソードを紹介する。
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親父はよく「飄々としている」「つかみどころがない」と言われました。いつも好きなことをして、楽しそうに暮らしており、息子の僕から見ても、その自由な生き方の秘密は何なんだろう?とずっと思っていました。
小学生の頃、親父から「勉強は学校でするものだ」と言われ、僕が家で宿題をしていると「アタマの悪い息子を持ってしまったようだからやめてくれ」と嘆かれました。「生まれつきの利口や金持ちより、運のいい人間の方がいい」とも言ってましたが、どうやったら運を手にできるのか僕にはわからなかった。結果的に、僕は努力するタイプの人間になりました。
僕が20歳のとき、親父が家を出ました。僕は大学を卒業後アメリカに留学しましたが、やがて両親は離婚、しばらくすると親父は再婚しました。しかし、どちらも僕はあとから知った。再婚と同時に、それまで週に1度はあった連絡もなくなった。親父が本当に愛した人なら受け容れ、応援するつもりだったので、認めてもらえていないようで悔しかった。親父が胃がんや大動脈瘤の手術をしたときも、僕は知らなかった。喧嘩をしたわけでもないのに、急に疎遠になり、寂しい思いをしました。
2005年に15年振りに帰国し、親父たちの別居をきっかけに10年から親父との二人暮らしが始まりました。その後離婚し、15年、親父は小脳出血で倒れました。姉には家族があったので、独り身の僕が主に介護を担うことになりました。病状も悪化して大変なはずなのに、親父はあまり苦しそうな様子を見せなかった。あるときふと「親父は“今”を生きているんだ」と気づきました。“今”を生きるためには“今”を受け容れる必要がありますが、思ってみれば親父は老いや年齢を武器にするくらい受け容れるのがうまかった。病院でも先のことを不安に思っている様子がなかったし、昔から「反省も後悔もしない」とよく言っていた。「親父は、過去や未来を憂うことなく、いつも“今”を生きていたんだ」「“今”に生きる心は軽くて自由。だからこそ楽しくて優しかったんだ」と気づきました。やがて親父との別れが近づいているのを感じましたが、受け容れることができたのは、そのとき親父の生き方を学ぶことができたからだと思っています。
今年、親父について書いた本(『オヒョイ 父、藤村俊二』)を出しましたが、「父親に対しての執着が強いんじゃないか」という感想をいただきました。たしかに僕は自分でも不思議なくらい親父が大好きでしたが、親父のような父親を持った理由が知りたかった。また、親父の生き方を学び、受け継ぎたいと思っていました。1年3カ月に及んだ介護生活が、僕にその答えをくれたような気がしています。(取材・文/野村美絵)
※週刊朝日 2018年6月22日号に掲載した記事に加筆

