「79年の連続フルイニング出場が途切れた試合です。古葉さんが岡山の球場で監督室に『サチ、ちょっと来い』と彼を呼んだ。その時、彼はスランプだったんですが、諭したというか、『今日はスタメンから外すから。だけど試合にはもちろん出す』と伝えました。そして衣笠くんが涙を流して部屋を出てきました。私はその時初めて、彼が泣く姿を見て、声をかけれなかった。よっぽど悔しかったのでしょう。それまで骨折してまで出てきたのに途切れたから」

 もう一つの思い出は、衣笠さん、江夏豊さん(69)、高橋慶彦さん(61)の仲良し三人組たちの姿。

「江夏が78年に(カープに)来たんですが、その時の日南キャンプでのこと。江夏と高橋と衣笠の3人がいつも宿舎の近くのスナックに行き、江夏はお酒が飲めないのでコーヒーとケーキを頼み、衣笠は洋酒だったり焼酎を飲み、そして高橋と、この3人が、朝方までとはいわないも深夜まで、ひたすら野球談議をしていました。僕は2回くらい付き合ったことがあるんですが、彼らはとにかく野球が好きで、かなり深く掘り下げてて話していて印象に残っています。『江夏の21球』で知られる79年の日本シリーズで、ピンチの場面で、江夏のいるマウンドに衣笠が行って諭したというのも、彼らの関係からでしょう」

 それくらいの野球好きだった衣笠さん。結局、引退後、監督としてカープに戻ることはなかった。前出の古葉さんはそれが残念だという。

「彼は、やっぱりプロだから成績をどんどん残していかないといけない。見にきているファンが喜ぶような試合をしないといけないという気持ちをすごくもっていた。やっぱりあれだけのことをやってきた彼だから、僕の気持ちの中では監督をしなかったのが残念でならない。なんとか1回やってくれたらなと思っていました」

 その思いは届かず、“鉄人”衣笠さんはいってしまった。しかし、衣笠さんが見せ続けたプレーの数々や鉄人の魂は、世代を超えて、広島カープの現役選手たち、ファンに受け継がれているはずだ。(本誌・大塚淳史)

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